大光寺
  花祭り お釈迦様の誕生日
 

2018年 4月8日(日)
お祈りは12:00と18:00の2回

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12:00と18:00の2回です。
ちょうちんのお寺

 

この日は、私たちの尊いお釈迦様の誕生日を迎え、心の灯(ともしび)をともし、全世界でお釈迦様の慈悲の光明がすぐにでも充満することを願う日です。お釈迦様の誕生は、すなわち衆生の誕生なのです。すべての衆生はお釈迦様の人間宣言によって完全な人間になることができる保証を授かり、真実の私を発見できる契機を用意していただいているのです。それなのでこの日は素晴らしい宇宙が大きく開き、私たちみんなが永遠の幸せを得て、世界と自分の人生を明るく照らすことができる日なのです。

 私たちの魂は何度も生まれ変わります。一生と呼ばれるものは長くても百年程しか続かず、また次の人生へと旅立たなければなりません。生まれ変わって嬉しい出会いやたくさんの物を持ったとしても、永遠には続かず、最後にはひとり別れていきます。
宿命とは前世の自分がした行動によってつくられ、決められているものなので、いつも若い人の先が長く、年寄りが早く亡くなるわけではありません。生まれる、老いる、病気になる、亡くなる。私たちはこの道で苦・集・滅・道の輪廻を、きりがないほどの回数を繰り返しているのです。
 迷いながら短い人生を繰り返し続ける私たちを最高の智慧・宇宙の根本的な真理であるお釈迦様は胸を痛めながら見ていらっしゃいました。一生懸命頑張っても希望通りにならず、たとえ一瞬でも幸せで安心したとしても、世界や環境によって台無しになってしまうのです。そんな定まらない人生や、望むことも成し遂げられない人生を終えては再び繰り返す人々の姿が大変つらく、かわいそうに思われたので、人々に大きな希望の道を教えるため、お釈迦様は肉体をもった人間の姿になって天国からこの世の中に生まれていらっしゃいました。希望の道とは、苦しみのない幸せな世界の道、縛られない道、生まれ変わることのない解脱への道です。


  4月8日、この日は私たちにその素晴らしい道を教え、導いてくださるお釈迦様の誕生日を賛嘆する花祭りをします。私たちの素晴らしい智慧の師匠であり、精神的な親であるやさしいお釈迦様へ、神秘で清らかな蓮の花に明るい光を灯して自分の希望を書き、人生が明るくなってこれ以上迷わないようにメッセージを送って祈りましょう。4月8日はその希望や願いが叶う日です。

 また、蓮の花の希望ちょうちんは人生の中の大きな明るい光です。それは私たちが生まれ変りながら煩悩の種を限りなくつくりだし、不安になり、悩んで迷い、先が見えず、暗く落ち込んでいた人生を明るくさせ、今まで閉ざしていた人生の扉をラッキーな方向へ開く智慧の光です。またはお釈迦様の様々な神通力でもあります。これを機会にみんなが持っている最高の智慧の光・霊感のパワーとオーラの色をもっと強く美しく輝くように磨いて、未来を明るく予測できるように祈りましょう。そしてその祈りの心とあわせて行動を起こさなければなりません。美味しい料理が目の前にあってもただ見ているだけでは写真や絵と同じです。空腹に苦しむ身体のためには、自分で料理を口に運ばなければいつまでも満たされることはないのです。

 今の時代は、生意気、傲慢、いじめ、弱い命を無駄に奪ったり、人を騙す詐欺師など、悪魔たちがまかりとおっている時代です。戦争や地震で亡くなった魂、何も問題が無いのに命を奪われた魂、若くして病気や大きな事件・事故で身体が亡くなってしまった魂、成仏していないご先祖様や縁が深かった身近な友人・水子の魂、いじめられたつらさで自ら命を絶った魂が辛い思いを抱え、成仏できず、世の中で餓鬼と浮遊霊になりさまよっています。この魂たちはとてもさびしく悲しくてお腹がすいていますが、前世の重いカルマで力もなく、天国に生まれ変わることもできず、肉体もないので生きている動物や人間に憑くしかありません。とてもつらいのに姿が目に見えないため誰もわかってくれず、幸せな人間を見ると悔しくて、悪となり、私たちの穏やかな幸せを邪魔しています。結局やきもちをやいてしまい、結婚できないようにしたり、子供が生まれないようにしたり、平和で穏やかな世界に事件・事故などをおこし、人々に恐怖を与えたり、仕事ができないように邪魔をしたり、人間関係を悪化させたり、様々な災難をおこしたり、引きこもりや精神的に不安、うつ病、パニック障害、統合失調症など様々な病気となって人の命を奪ったり、いじめや身近な殺人など様々なつらいことを引き起こしています。これはまるで目に見えない戦争なのです。

 このまま放っておいたら、行くところがない魂もそれによって未来が暗くなる私たちもかわいそうです。悪となった魂をきれいに磨いて成仏させ、嬉しく天国にむかうように、そして私たちの未来である子供たちが引きこもりから元気に外へでて世界へ羽ばたけるように、心を開いて一生懸命祈ると、私たちの目の前の大きな邪魔をしているカルマがなくなり、自然に福の種がたくさんつき、その億万倍の幸せがかえってくるのです。

 本当の真理は私たちの体と心そのものなのです。私たちの心の考えと行動によって、世界すべての透視をして苦しい生命たちを救済している優しい仏陀様になったり、愚かで未熟な衆生や悪になったりします。折角私たちは天国と世の中の神々しい人間に生まれてきたので世界のルール・戒律をきちんと守り、心をひとつに集中し、禅定を磨いて、最高の智慧を授かり、悟りを開き、大きく光って、苦しい生命たちを支え導き、世界平和を呼びながら、最後は私たちみんなが弱い生命たちをつれて、二度と生まれ変わる世界のない、素晴らしい涅槃になりましょう。そして大きな力、素晴らしい宇宙となっているお釈迦様の魂といつも通じているので、希望ちょうちんを灯してみんなで力を合わせて祈り、元気で明るく、生き生きするようにメッセージを送りましょう。

 
◆お布施
  1万円
◆蓮の花のちょうちんについて
  3万円
  ちょうちんのお札に願いごとを書きます。
恋愛・結婚・子供の縁結び、ご先祖様の供養、水子供養、健康、長寿、仕事・学業の成就、病気・精神的不安・パニック障害の快癒、人間関係・経済的に困らないように等、どんなことでも書くことができ、明るくなります。

 

【ブログリンク】

・お釈迦様の誕生

・お釈迦様の誕生と賛嘆

お釈迦様の誕生を三十三千世界と大梵天王と帝釈天王が賛嘆しているところ

 

毎年、四月八日になれば、お寺では、各々の願いが入れられた蓮の花の灯を付けます。形も色もみな違いますが、蓮の花の灯に含まれた意味は一つです。蓮の花の灯は、無明と闇を明るくする智慧の光を象徴しています。灯は、暗い夜と同じ現実の中で、道を忘れて、迷った時、道を明るくしてくれる生命の光です。人生において、欲望と怒りにとらわれれば理性と正しい判断が、曇ってしまい、現在の人生において、正しいのか正しくないのか、また幸福と不幸を区別できません。暗い無明の中をさ迷うことが、愚かさであり、この愚かさを打ち破ってくれるのが智慧の灯なのです。

 

私たちは全員衆生です。私たちが持っている財産、容貌、自己中心的な考え、そして世界の何よりも、私たち自身が大切な存在であることを知っていることがまさに智慧なのです。この時、私たちは、やっと仏陀様になるのです。一人一人の家族構成員、財産と名誉と学閥、容貌ではなく、まさにその人自身を大切に感じられれば、その家庭が、まさに極楽浄土になるのです。私の家族と近所から、一歩進んで、この世のすべてにいる人々を、このように眺めることが、まさに智慧なのです。 したがってお釈迦様の来られた日を迎えて、私たちはお釈迦様の生き様を見て、自分自身が本来、仏陀であることを悟るために蓮の花の灯をともすのです。

 

それなので、なぜ、お釈迦様が来られた日、蓮の花を端整な蓮の花の明るい灯にするということでなのでしょうか? 蓮の花は汚い泥の中に根をおろしてありながらも、泥水に染まらないで、清らかで美しい花を咲かせます。その姿は、まるで娑婆世界で存在しているお釈迦様とお釈迦様の教えに比喩されるので仏教を象徴する花として知られています。また、また無明の中に悟りを成就する真理を意味したりもします。それで、蓮の花は仏教の理想的な菩薩を象徴することなので、蓮の花が泥の中で、美しい花を咲かせるように、仏者たちも、お釈迦様の教えを実践して、仏国土を成し遂げなければならないという意味が、含まれていることになるのです。また、蓮の花は、曼陀羅とも言います。

 

これは、森羅万象を象徴する幽玄な法則が、蓮の花にあらわれるためです。お釈迦様が、霊山で説法をしている途中で、大衆に蓮の花を掲げて見せてくださったその時、迦葉尊者だけがその意味を理解し、お釈迦様に微笑みました。お釈迦様がルンビニ丘で、生まれて四方に七歩、歩かれる時、その足もとに蓮の花が、わき上がって太子を敬い、その上を太子が歩んだという経典の話でも、蓮の花は非常に崇高な意味を持っています。真っ暗な現身の闇、いき過ぎた欲望で、自らを束縛している心の闇を明らかにしようと、蓮の花を形象化した灯に火を灯すのです。

心の灯をともす
法師が法壇に上がり、入定したあと、杓杖を三回叩いて、説法するのです。
尊敬する佛子のみなさん、今日、私たちの尊いお釈迦様の誕生日を迎えて、心の灯(ともしび)をともし、すぐ全世界でお釈迦様の慈悲の光明が充満することを、願っているのです。お釈迦様の誕生は、すぐ衆生の誕生なのです。すべて衆生がお釈迦様の人間宣言によって完全な人間になることができる保証を受け、真実の私を発見できる契機が用意されたことなのです。

 

しかし、現代人は今や精神的危機に直面しています。科学文明の発達で物があふれて、人々の生活が便利になりましたが、あらゆることが組織化されて、機械化されて、人間は自分が作った機械の奴隷に転落するのか、もしくは互いに尊重してこそ、人間は自分の中に不信と葛藤、対立と反復暴力と略奪を行って、あたかも世界は阿鼻無間地獄にある汚れた泥にまみれた暗闇の世界の大黒癌地獄に変わっていきつつあります。このような現実はすべての人間が本来、真実に自分自身を失って、無明と欲望に縛られ、貪・瞋・癡の三毒の炎を終わりなしに燃え上がらせるようにするのです。

 

したがって今日、私たちのこの五色燦燗したお釈迦様の光明の灯の下で、人々が生まれた時から、本来、授かっている清らかで純粋な消えない生命の灯をともすように、努力するのが良いのです。心の灯は、昼夜がなく、内外もないです。紙で作った偽造の灯に、ロウソクの火をつけると明るくなり、息を吹きかけると火が消えてしまう灯では、ないのです。これは、お金を渡しても買うことができず、また交換することもできず、ただこれは本当に深い信仰心でつけることができるのです。

 

遠い昔、インド四位国プラセナジ王様は、三ヶ月の間、お釈迦様とあらゆる僧侶たちを供養して、また数万個の灯をともして、燃燈曾の会の祭りを布施したのです。その時、乞食をして、やっと生きながらえている一人の女性がプラセナジ王の燃燈会を見物して「私が、たとえ貧しくて何も供養ができなくても、灯の一つでも、ともして、お釈迦様に供養をしたい。」と考えて、つぎはぎの服を売り、小銭を二枚を得て、油を用意し、灯をともして、お供えしながら、「見るべきものがない灯なのに、この功徳で未来の世界で私も仏陀になるようにお願いします。」といって祈願しました。

 

夜が深いので、他の灯はすべて消えたのに、ただ一つの灯だけ、明るく光っていたのです。灯は全部消える前は、お釈迦様が、お休みにならないので、阿難はその火を消そうとうちわを持って行き、風をおこしたが、なかなか消えないので、口で息を吹きかけ、手でこすり合わせたり、袈裟のすそで扇いでも、ついに火が消えないので、お釈迦様はそれを見て、話しました。


「阿難よ、無駄な努力をするな。それは、貧しいが心が善良な女性が広くて大きな誓願と誠意を込めてつけた灯なのだ。それなので、結局、消えないだろう。その灯の功徳で、その女性は未来の世界で、必ず仏陀になり、明るい法灯で暗い世の中を明るくするのだ。」といいました。この話は根本一切有部で事実なのです。心が明るければ国土も明るいです。心の灯をともして、三毒、煩悩を除去して明るい社会を建設しましょう。灯は仏教の慈悲、智慧、解脱、禅定、清浄、過去世を含んだ正覚心なのです。

 

それなので、達磨観心論で言われることは、「一切解脱を求める人は、常に体を灯として、心では、ひょうそく(灯火器具の一つ。油皿の中央に置いた灯心に火をつけるもの。)として、信仰心を火をつける芯として、すべての戒律でしっかりと添油をしなさい。」と言い、また「火の光は、智慧が明るいことを比喩したことなのです。いつも、このように悟りの灯は、無明の暗闇を照らして、充分にこの法(教え)でますますお互いに悟れば、すぐに一つの灯が百千の灯となり、明るくともして、ついに、終わりがないことなのだ。」と言われました。毎年、私たちは、お釈迦様の来られた日になれば、明るい灯をともします。

 

しかし、それは、一つの宴と行事の習慣ととらえては、いけません。あの貧しい女性の灯のように、そこには、私たちの非常に深い希望と限りない誠意が宿ってお釈迦様に向けた飾りない賛美のあかりであってこそすることで、私たちが、自ら覚灯を開発して、衆生の暗いことを失くす智慧の灯だけするのです。本来、この灯は必ず、通り道でともす街灯のことではないのです。高麗、毅宗の時、白善淵は、「お釈迦様の誕生日の日、灯をともして、王様と一緒に別宮で夜通し灯をともしました。」と言い、高宗の時、懐臣催治も「4月8日を派手に飾って、燃灯の歌と百戯で佛誕日として祝福して、百姓たちを慰めました。

 

そうして、恭愍王も即位元年(一三五二)年、お釈迦様誕生日の日に、宮殿で、蓮の灯をともして、100人の僧侶たちを招待し、供養して、火山を作り、あらゆる余興と楽器の演奏で国民を慰めて、十三年と十五年、四月八日の日は、蓮の花と旗を見物して、たくさんの布を布施したと言われました。旗というのは村の子どもたちが四月八日の蓮の花の灯の費用を用意するため、あらゆる旗を紙でつくり、長い棒に紐でつけて、太鼓をたたいて、大勢で遊びながら、お米と稲をもらうため、この家、あの家を回って行くことなのです。このような風習は、非仏思想が濃厚なその時期も、この風習は行っていました。

 

成宗、燕山君(ヨンサングン)時の名臣、成俔の慵齊叢話で、「四月八日になれば、家々に木の棒で灯をくくりつけたのです。裕福な家では、大きな木の枝に豪華な蓮の花の灯を重ねてたくさんつけるので、まるで空のたくさんの星が世の中に降りてきたようでした。」と言い、光海君の時、従者の石州は、

須弥之兜率天中 四月八日生金仙
心心相印比傅灯 流人東華知幾年
漢陽豪富天下雄 張灯説戯傅遺風
紛紛甲第斗奢華 羅緯繍幕連青空

その時の風習に従っているのです。
なので、兜率天にいらっしゃったお釈迦様が四月八日の日、誕生して、心と心をお互い結び、心の灯を伝承したことを比喩して、灯をともしたことをソウル市内の富裕層が豪華な絹を棒にくくりつけて、家を荘厳にし、灯をともして、夜が明けるまで、お釈迦様を賛嘆し続けたのです。

 

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2007年4月8日(日)花祭り お釈迦様の誕生日のお祈り >>12:00〜
 ■音声付
>>18:00〜
 ■音声付
>> 法話
12:00〜のお祈り 韓国ソウル奉元寺9代目国宝貴奉先生のお祈りをお聞きいただけます


私たちが落ち込んで迷わないように、まっすぐに健康で一生懸命頑張り幸せになるように祈り、人生を明るく開ける太鼓を叩く貴奉先生
お釈迦様の生まれた意味を説明しながら、法要する姿。
「全てが心の中にあり、全てが空である。目の前に現れたり消えたりすることも全て縁、全ては一生続かないので執着をしない。命は息を一回吸う間にある。それくらい人生は短いので、命を大切にすること。命と身体は一番の宝。天国も地獄も心にある。」
 
   
人間国宝の貴奉先生をみなさんに紹介する姿 みんなが心から祈る時間
   
   
  貴奉お坊さんが霊感でみんなが健康で明るい人生になるように修戒しながら力を授ける姿
   
   
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18:00〜のお祈り 韓国ソウル奉元寺9代目国宝貴奉先生のお祈りをお聞きいただけます


世界が平和で悪い事が起こらないように太鼓を叩く貴奉先生
六道が明るくなって暗い地獄をなくすように鐘を叩く貴奉先生  
   
   
   
   
   
   
   
この日は忙しい方や海外や遠い場所の方も、朝早くから夜遅い時間まで、たくさんの方が本当によくいらしてくださいました。
貴奉先生とみんな一緒にお釈迦様におめでとうを言い、私たちが生老病死の道から抜けて幸せになるようにお祈りしました。
生まれて会えることは楽しい。歳をとったら身体も心も弱くなる。病気になったら苦しい。好きな人に会えないことも苦しい。一生懸命頑張っても希望通りにうまくいかないことは悔しい。死んでしまえば悲しくてつらい。しかしこの道は抜けることができ、すばらしい涅槃の道があることを教えてくれたお釈迦様の誕生日は、全てが開ける大きな光の日になりました。


小さな子供はまだ教育を受ける段階で自分を育てることができないので、明るい判断ができません。
反対に気持ちで歳をとってしまうと自信をなくしてどんどん弱くなり、正しい判断ができなくなります。
今のわたしたちは夢中で頑張る時期、人生のピークです。食べ物の美味しさや味が分かり、経験があるのでよい判断ができ、元気があるので身体がぼろぼろになるまで力いっぱい頑張ることができます。
仕事もおしゃれも元気で若いときに頑張るのはとてもよいことです。若い時のおしゃれはかわいくてとても綺麗です。
しかし誰でも永遠に若く元気なままではいられません。よいことも悪いこともつらい時期も楽しい時期も、すべては時間の問題です。その時間が長いか短いかは、人生からみたらほんの少しの差でしかないのです。

一番大切な時期の今、一日もうろうろする時間はありません。無駄なことに時間を費やしてしまうとその分明るい道へ入るのが遅くなり、それは苦しみが続くことと同じです。
起きている時も寝ている間も、時間はとどまることなく流れ続け、動く宇宙は誰も止めることができません。どうやっても人は歳を取り自然に亡くなります。命は息を吸って吐く間にあります。過去のつらさに執着するとそれがわたしたちの足を引っ張り、前へ進めない状態を作ります。せっかく明るい智慧のある人間に生まれたのだから、胸を開き、執着を手放し、大きく世界を見ましょう。
一生懸命努力したことは、たとえ結果が失敗に終わってもその経験が先生となって自分を育て、人生を明るくしてくれます。その努力する姿は自然の鏡に映り、宇宙にすべて記録されています。

私たちは一回だけ生まれてくるのではなく、何度も輪廻を経ています。
前世を慈善の心で行動した人はそれが福となり、自然に次の人生も良い姿で良いオーラを持ち、力のあるところに生まれてきます。自分がしたことは全て自分に返ってきます。

出会って友達や恋人になったり結婚したりするのは縁ですが、別れるのもまた縁です。
離婚するのも前世で縁が切ってあるためです。前世で結婚した相手が戦争や病気などで早く亡くなったり離婚したりして再婚した場合は、今世で結婚してもちょうどその前世と同じ歳の頃に離婚してしまうのです。
犬でも猫でも鳥でも金魚でも植物でも、生き物は全て、前世からの縁によって今世で出会うことになり、一緒に暮らし育てる家族になります。色々な姿で現れてくるのが運命の道だから、家族なのは人間だけではありません。世の中は人間の男女だけでなく、動物も植物も元気に生きて楽しく暮らせることが幸せです。

運命の人はどんなに遠く離れていても世界で200以上あるどの国に生まれても、道や職場や旅先や飛行機の中でも、友達の結婚式や、知人のお葬式に参列している時でも、必ず出会うことになります。それが早いか遅いかはただ時間の問題で、命がある限りあきらめなければ必ず運命の人に出会って希望が叶うことになります。
場所にもまた縁があります。前世で生まれた国や縁が深い場所には、今世でも仕事や旅行などで必ずその場所に呼ばれて自然に行くことになり、行ってみると言いようのない懐かしさに包まれ、それが自分にとってのたくさんのエネルギーとなります。

元気にいきいきと振る舞って明るい笑顔見せることは、親や兄弟や周りの人々にパワーを与えることができます。強い立場を利用して人を責めたり意地悪をしたりすることは傲慢で人を傷つけ、大きな迷惑になります。人に迷惑をかけず、よい香りがあってきれいなお花のようにいつも綺麗な姿で元気で明るく過ごすだけでも人の役に立つことができるのです。そしてその姿は自然の鏡に映り明るい大きな光となって自分に返ってきます。

自然の四季の中でも、春は種蒔き、夏は虫や雑草に負けないように育て、秋は収穫、冬はのんびり過ごします。人生はそれと同じです。生まれて小さい時には家庭の教育や世界の教育を受け、成人して結婚し子供を産み、仕事に責任を持って夢中に頑張る時を送り、歳をとったらのんびりと休みます。年寄りは子供の元気な姿をみたらそれだけで幸せに感じます。親への恩返し、一番の親孝行は、しっかりした自分の明るい姿を見せることです。

心も力もやさしい恋も、もらう気持ちより与える気持ちを持っていることが幸せです。母親が子供におっぱいをあげるように無償の心で与えること、これは本当の幸せです。
今世で蒔いた種は必ず返ってきます。悪いことをするとたとえ死んで生まれ変わっても逃げることができません。目には見えませんが、前世現世来世は結んであり、一緒に動いています。その六道の中では針一本隠すことはできないのです。

幸せは他人からもらうものではなく、自分で起こすものです。自分が幸せでないのに人を幸せにすることはできません。幸せは誰でも自分自身が持っているので、自分で起こすことができます。どうしても一人で解決できないことがあった時は、鑑定やカウンセリングを受けるのはとてもよいことです。
運命は半分は持って生まれてきますが、残りの半分は自分で育て磨くことができます。生まれたばかりの子供は最初から走ることができないように物事には順番があります。朝起きたときには東から明るい光が射していたのに、急に暗い雲がたちこめ風が吹き激しい雨になると、心は不安になりいつこの状態が終わるのか先が見えなくて心配になります。しかしやがて雲は流れきれいに晴れる光の日が来ます。その空と同じく人生には誰にも波があります。今がつらくてもじっと我慢していたら幸せな明日が必ず来ます。それが私たちが生きている音、生きている味です。
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