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●金剛般若波羅蜜経(2)(2009.7.22)

第9 絶対の法は存在しないのだ

須菩提よ、お前はどのように考えるだろうか。須陀ウォン(しゅだうぉん:聖人の流れに入った段階のこと)として考える事は『私が須陀ウォン果を得たり』というのだろうか」

須菩提は言いました。
「いいえ。世尊様よ、なぜならば、須陀ウォンは名前が聖人の流れ(聖流)に入っているという言葉になりますが、実は流れに入っていることはなく、姿か声、におい、味、触感だったり、あるいはある真理を得たりすることもなく、ただ名前を須陀ウォンというだけのことなのです。」

「須菩提よ、お前はどのように考えているのだろうか。斯陀含(しだごん:一度解脱して、行ったり来たりできる段階)として考えることは『私が斯陀含果を得たり』というだろうか。」

須菩提が言いました。
「いいえ。世尊様よ、なぜならば、斯陀含は名前が『一度行って帰ってくる(一往来)』と言う言葉であるのですが、実は行って帰ってくるという考えのないことを斯陀含と名づけられただけだからです。」

「須菩提よ、お前はどのような考えであろうか。阿那含(あなごん)が考えた事は『私が阿那含果を得たり』というのだろうか。」

須菩提は言いました。
「いいえ。世尊様よ、なぜならば、阿那含は名前が<来ることのない>ということなのですが、実は来ることのない気持ちがないことを阿那含と名づけられているだけだからです。」

「須菩提よ、お前はどのように考えるだろうか。阿羅漢として考える事で『私が阿羅漢道を得たり』と言うのだろうか」


須菩提は言いました。
「いいえ。世尊様よ、なぜならば、実に『このことが真理だという意味をなさないこと』(実無有法)を名前とし、それを阿羅漢というだけだからです。世尊様よ、万一阿羅漢として考える事で「私が阿羅漢道を得たり」と言ったとしたら、この人はかならず<私という考え>・<他人という考え>・<生命たちという考え>・<長生きするという考え>に執着することになるのです。

 世尊様よ、仏様が私は『争いのない三昧(無諍三昧むしょうざんまい)を得る人の間で最高(根本)の人だ』といわれたのですが、これは欲をなくしている一番最高の阿羅漢であるという意味の言葉であります。世尊様よ、私は欲をなくしている阿羅漢ということは考えもしていないのです。世尊様よ、私がたとえ『私が阿羅漢道を得た』と考えたならば、世尊様は必ず須菩提に『阿蘭那行(あらんなぎょう:阿羅漢の行動)をちゃんと実践している人』という言葉を私に言わなかっただろうと思うのですが、須菩提が実に阿蘭那行を実践する考えがないので『須菩提は阿蘭那行を実行する人』として名づけてくれたのです。」

 

第10 浄土が荘厳なのだ

お釈迦様は須菩提に言われました。
「須菩提よ、お前はどのように考えているだろうか。如来が昔、燃燈仏(ねんとうぶつ)様のいる所でどのような真理を授かったことがあったのだろうか。」

「ありません。世尊様よ、如来は燃燈仏様のいる所にいらっしゃる時に、どのような真理も得ることがありませんでした。」

「須菩提よ、お前はどんなふうに考えているのだろうか。菩薩が仏国土を荘厳だと言っただろうか。」

「いいえ。世尊様よ、なぜならば、菩薩は仏国土が荘厳であることは荘厳であることがなく、その言葉だけが荘厳だというからなのです。」

「それなので、須菩提よ、あらゆる菩薩摩訶薩(ぼさつまかさつ)はこのように当たり前に清らかな心を表しているのだ。もちろん目に見えるものにこだわらないで、声や匂い、味、強い触れ合いとどんな真理にもとどまらずに、心を表すことになるのだ。
須菩提よ、喩えるなら、もしある人の体が大きな須弥山ほどあったならば、お前の考えではどう思うのだろうか、その身体を大きいというのだろうか。」

須菩提が言いました。
「とても大きいです。世尊様よ、なぜならば、お釈迦様は身体でないものを意味しているので、だからこそ大きな身体と言われるのです。」

 

第11 絶大な福徳

「須菩提よ、恒河(こうが:大きな川)にある砂の数ほどそれくらいたくさんの恒河があったならば、自分の考えではどう思うだろうか。そのあらゆる恒河の中にある砂がどれくらいたくさんあるだろうか。」

須菩提が言いました。
「とてもたくさんあります。世尊様よ、あらゆる恒河の数だけでも、限りなくたくさんあるとは思いますが、ましてその中にある砂の数なのですから。」

「須菩提よ、私が今真理の言葉としてお前に話すのだが、たとえば善の男・善の女がいて、あの恒河の砂の数ほどある三千大千世界にいっぱいに満ちているたくさんの七宝をもって、広く布施をしたならば、それにより受けた福はどれくらいたくさんあるだろうか。」

須菩提が言いました。
「はなはだしくたくさんあります。世尊様よ」

お釈迦様は須菩提に言われました。
「たとえば善の男・善の女がこの経典の中で4つの句だけでも授かってから、他人のために話してあげれば、その福徳がこの話(七宝の話)の福徳よりもこの上なく、秀でる事になるのだ。」

 

第12 正しい教法を尊重しなさい

「さらに須菩提よ、この経典の中の4つ句だけでもその意味を教えてあげれば、当然わかるだろう。この場所では一切の世界の天国の天人と人間と阿修羅とがすべて当たり前に供養をして、お釈迦様の塔とお寺でしたことと同じようにすることになるのだ。そしてむしろどんな人でもこの経典を全てよく授かって、読んで覚えることになるだろう。

 須菩提よ、当然わかるだろう。
この経典を授かった人は最も神々しく、最もわずかで稀有な真理を成就する事になるのだ。

 もしこの経典がある場所ならば、如来様がいらっしゃる所と同じように尊敬を受ける如来様の弟子がいる場所となるのだ。」

 

第13 法を受けて敬いなさい

その時に須菩提がお釈迦様に言いました。
「世尊様よ、もちろんこの経典は何かしら名づけられているのでしょう。私たちはどのようにそれを奉り続けましょうか。」

お釈迦様は須菩提に言われました。
「この経典の名前は金剛般若波羅蜜というので、このようにお前たちがやはり奉り続けなさい。なぜならば、如来が話した般若波羅蜜というのはすなわち般若波羅蜜ではなく、その名前が般若波羅蜜というだけのことだからなのだ。須菩提よ、お前はどのように考えているのか、如来がどのような真理を説法したことがあるのだろうか。」

須菩提がお釈迦様へ申し上げました。
「世尊様よ、如来様は話されたことがないのです。」

「須菩提よ、お前はどんな考えをしているのか。三千大千世界にあるあらゆる塵の数ほどもたくさんあるではないか。」

須菩提が言いました。
「たくさんあります。世尊様よ」

「須菩提よ、このあらゆる塵を如来が塵ではないというので、これは名前が塵だというだけで、如来が話す世界とはさらにいえば、それが世界ではなく、その名前が世界であると言われただけなのだ。」
「須菩提よ、お前の考えはどのようだろうか。三十二種類の神々しい姿(三十二相)として当たり前に如来を見るのだろうか。」

「いいえ、世尊様よ。<三十二相>としては如来にお目にかかることができません。なぜそうかと言えば、如来様のお話される<三十二相>はかならずしも姿(相)ではなく、その名前が姿(相)であることだからなのです。」

「須菩提よ、たとえばある善の男・善の女が恒河の砂の数ほどの命を捧げて布施をする人がいたとする。またある人はこの経典の中から4つの句だけでも受けて授かり、人のために説明をしてあげれば、後の人の話の福の方が前に話した人の福よりもとてもたくさんになるのだ。」

(つづく)

 

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