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●ラブストーリー春香伝〜はじまり〜 (2009.8.7) 

(1)春香(チュニャン)の誕生

 肅宗大王(スクチョンだいおう:朝鮮王朝の第十九代目の王様1674-1720)が即位した初めの頃、聖なる人徳が高く、王の子孫たちは代々とつづき、金で作った鐘と太鼓、美しい玉(ぎょく)でつくられた笛は中国の尭舜(ぎょうしゅん)時代のものであり、衣装や冠、王族の品物は禹湯(うとう)時代の最高級品でした。

 周囲で補助する人は国で大事な役目をする大臣たちであり、国を守る職位には将軍たちが就いていました。朝廷に広まった王の人徳は地方のすみずみまで行き渡り、東西南北の誰もが力強い気風に満ち溢れていました。忠実な家来たちは朝廷にたくさん集まり政治を助け、親孝行な子供と信念を貫きとおす意思の強い女性たちは家に多くいて家族を守っていました。本当に素晴らしいことでした。雨は適度に降り、風も程よく吹き、満足できるほど食べて腹を叩くような天下泰平の中で、百姓たちはいたる所で歌を歌うような平和な世の中でした。

 この時代、全羅道の南原(ナモン)というところに月梅(ウォルメ)という妓生(キーセン:芸者)がおり、三南(忠清道チュンチョンド・全羅道チュラド・慶尚道キョンサンドの三道)では有名な妓生でありましたが、早々と引退し、成(ソン)氏という両班(ヤンバン:貴族)と結婚し、一緒に暮らしていました。歳は既に四十歳を越えていたのですが、子供はなく、そのことを嘆き、ため息をつく日々で心の病気にかかっているようでした。ある日、大きく悟ったかのように昔の人の話を思い出し、夫を呼び入れて、丁寧に言いました。

「お聞き下さい。私たちは前世でどんな因果をつくったのかわかりませんが、今世で夫婦となり、私は遊女としての行いをすっかり捨て、礼儀を大切にし、機織りにも精を出してきたのに、どんなカルマがあるでしょうか。一人の子供もなくて、親族もいない私達の身の上を考えると、誰がこれから先祖の墓を供養し、私たちが死んだ後の葬式はどうすればよいのでしょうか。霊気の強い山にあるお寺で供養し、お布施をして、男か女かどちらかでもひとり生むことさえできれば、日頃の望みを果たすことが出来ると思いますが、あなたはどう思いますか。」

 成(ソン)参判(チャムパン:六曹とよばれる官職の次官にあたる人。そのレベルは従二品という)が、

「一生の身の上を考えればお前の言うことはもっともなのだが、お祈りをして子供が生まれるのならば子供のない人がどこにもいないはずではないか」と言えば、

月梅はそれに答えました。

「天下にいらっしゃった大聖の孔子様は尼丘山(イグサン)でお祈りをしましたし、また鄭(てい)の国の鄭子産(ていしさん)も右刑山(ウヒョンサン)でのお祈りで生まれたといいます。私達の国は東側に山や河があるので霊山がないはずはありません。慶尚道の熊川(ウンチョン)にいた朱天儀(チュチョヌィ)は年を取るまで子供がなく、山の最高峰でお祈りをしたところ大明天子(天国の子供)をお生みになって大明の天地をもっと明るくしたのですから、私達も真心をこめてお祈りしてみましょう。念入りに築き上げた塔が崩れたり、せっかく植えた木が折れたりすることがあるでしょうか。お祈りは因果応報で無駄にはならないのですから。」

 この日からきれいに身体を洗って、身を清め、霊山を訪ねて行きました。烏鵲(オジャク)橋をさっと渡って、左右の山や川を見渡すと、西北の方角に蛟龍(キョリョン)山がそびえ立ち、東には長林(チャンリム:南原近郊にある森の名)があって木が深くおい茂っている奥に禅院寺がかすかに見え、南には智異(チリ)山が大きく荘厳にそびえ、その間には蓼川水(ヨチョンス)という大きくて長い川の清い水が東南に流れていたのです。ここは素晴らしい別天地でした。 

 青い森の中を草木に掴まりながら登り、山の小川の中を入っていくと、智異山(チリサン)にたどりついたのです。頂上に上りあたりを見回すと霊山の大きな川がはっきりと現れました。最も高い峰に祭壇をつくり、お供え物を用意して並べ、祭壇の下にひれふし、この上ない心でお祈りしました。そして山の神様の功徳なのでしょうか、この日、五月五日の甲子(カプチャ夜中)に、月梅が夢を見たのです。そこでは薄いもやが立ち込め、五つの色の光がきらきらとしている中で、一人の仙女が青い鶴に乗って来て、頭には花の冠をつけ、身体にはきれいな衣をまとっていました。

 玉でつくられたベルトの飾りの触れ合う音が聞こえ、仙女は手に桂花の一枝を持ち祭壇の上に登って両手を上げ、長く丁寧に挨拶し、申し上げることは、

「洛浦(ナッポ:天国七つの星天の洛水の女神)の娘でしたが、天国の桃をさしあげようと玉京(オッギョン:玉皇上帝の首都)に出掛けたところ、広寒殿(クァンハンジョン:月の中の天女が住むという御殿)で赤松子(チョクソンジャ:神仙の名)と会い、おしゃべりをして心にたまった思いをすべて発散しきれずに、時間に遅れたと、罪に問われてしまい、玉皇上帝(オッコァンサンジェ:七夕様、ハヌンニムともよばれる。天国、三十三千大千世界の王の王)が大変怒って、人間世界に追い払ったのです。それなので、私は行く先も分からずにいたところ、智異山の神霊が夫人の所に行くよう指示したのでやってきたのです。どうか私を可愛がって下さい」と言って、胸に飛び込んできました。その瞬間、鶴の高い鳴き声がその長い首から出てきました。

 鶴の鳴き声に驚いて目が覚めてみると、実に南柯一夢(なんかいちむ:はかない夢)だったのです。恍惚な精神を落ち着かせながら夫と夢の話をしました。天国の力で男の子が生まれるのかと待ち望んでいましたが、案の定その日より子が授かり、十か月経ったある日、天国の香りが部屋中に一杯になり、五色の雲が輝き、昏迷の中で赤ん坊を生んだのです。その子はまるで一粒の宝石のような女の子でした。

 月梅の長いこと描いていた心では息子だったのですが、その望みは果たされませんでした。けれども、それなりに希望は叶ったわけです。この愛情の光景をどうやってすべて語りつくす事ができるのでしょうか。

 この子の名前を春香(チュニャン)と名づけて呼び、手に入れた宝物のように育てました。孝行な心は誰とも比べられることができず、また賢く、善良なのはまるで神童のようでした。七、八才になると文章を読むことに関心があり、礼儀を大切にし、行儀がよく、春香の孝行心を南原村で褒め称えない人はありませんでした。

 

 このころ、三清洞に李翰林(イハンリム)という両班(貴族)がいました。当時の名家で忠臣の子孫でした。ある日、王様が忠臣たちの名簿を御覧になり,忠臣の人と親孝行の人を選り分けて、地方官に任命されましたが、李翰林については果川(カチョン)の県監(ヒョンガン)から錦山(クムサン)の郡守に除授(ジェス:試験をせずに王様が直接出世させてあげたこと)され、更に南原の府使にも除授されたので李翰林がお礼の挨拶をし、お辞儀をし、王様にお別れの挨拶をして家族を連れて南原府へ着任し市民たちの生活を視察しました。村には変わったことはなく、地方の百姓達は視察のため遅れて来たことがわかってほめたたえました。

 平和な時代を歌う歌声が聞こえて来て、今年も平和で豊作になるように歌い、百姓は親孝行で中国の尭舜時代とまるで同じかのようだったのです。この時期はまさに遊びにはもってこいののどかな春の日のことで、燕と飛ぶ鳥達が互いにおしゃべりをしながら、カップルとなって連れ添い飛び回っていました。あらゆる春の情況があちこちであり、南山に花が咲き、北山も赤くなってきました。

 千本も万本もの糸柳の枝にウグイスが愛する相手を呼んでいます。木々が森となり、ホトドキスなどがみな森を越えて飛び去り、一年の中で最も美しい季節なのでした。

(つづく)

広寒楼(クァンハンル)


春香(チュニャン)と李道令(イドリョン)

 

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