大光寺
 
占い・お祓い・鑑定について
大光寺 金先生について
お祈り 儀式の日
大光寺 幸せになる道
大光寺の光
大光寺の歴史
体験談
大光寺特別ページ 霊感の道
ギャラリー
kekkon
記事・メディア
修行
神秘な世界 現れた魂たち
悟りの船 八萬大蔵経
神妙章句
得度式
ブログ
アクセス
リンク
 

 

●ラブストーリー春香伝 (2009.8.9) 

(2)李道令(イ・ドリョン)の登場

 この時、使道(サド:一般民が府・郡の長を呼ぶ名前)の令息、李道令(イ・ドリョン:未婚男子の敬称)は年が十六才で、姿は唐の国の美しい詩人杜牧之(とぼくし)のようであり、度量は青い海のように広く、智慧は明るく、文章は李太白(りたはく)のようであり、文字は王義之(おうぎし)のように書くのでした。

 ある日、房子(パンジャ:地方官庁の男性の下人)を呼んで言うには、
「この府で景色の良い所はどこか? 詩のひらめきと春の気風が高まって来たから絶景の場所を教えてくれ」

パンジャが申し上げました。
「文章を勉強されている道令様(ドリョン:若様)が景色を訪れることはつまらぬことでございます。」

李道令が言うには、
「お前、学のないことを言うな。昔からこの地方の文章に長けた人が絶景の山や川を見物したのは、風月(風流を楽しむこと)と文を作ることの根本となるからだ。仙人もすみずみまで回って広い範囲を見たというのにどうしてそれが不当なことなのかい? 司馬長卿(しばちょうけい)という人物は南にある江淮(カンフェ)で浮かんでいれば、大河をさかのぼる時の狂った波や荒れた波への陰鬱(いんうつ)とした風の叫びがあることを昔から教えたのだが、こうした天地の間のもしもの場合の兵火が驚くほど美しいということが文章にならないことはない。詩の中で天子の李太白は采石江(チェソクガン:川の名前)で遊んでいて、赤壁江(チョクビョッガン:川の名前)の秋夜月では蘇東坡(ソドンパ)が遊んでいて、潯陽江(シミャンガン:川の名前)の明るい月夜で白楽天が遊んでいて、報恩郡にある俗離山(ソクリサン)の文蔵台(ムンジャンデ)で世祖大王が遊ばれたのに、どうして遊ぶことができないんだ」

 この時、房子が道令様の心を理解して四方の景色について話しだしました。
「漢陽(ハニャン)と言えば、紫門(チャムン)の外に出れば七星庵(チルソンアム)、青蓮庵(チョンリョンアム)、洗剣亭(セゴムジョン)、平壌(ピョンヤン)の練光亭(ヨングァンジョン)、大同楼(デドンル)、牡丹峰(モランボン)、襄陽(ヤンヤン)の洛山寺(ナクサンサ)、報恩郡(ポウングン)の俗離文蔵台(ソンニムンジャンデ)、安義捜勝台(アヌィススンデ)、晋州矗石楼(ジンジュチョクソッル)、密陽(ミリャン)の嶺南楼(ヨンナムル)がどうなのか知りませんが、全羅道(チュラド)と言えば泰仁(テイン)の平壌亭(ピョンヤンジョン)、茂朱(ムジュ)の寒風楼(ハンプンル)、全州(チョンジュ)の寒碧楼(ハンビョクル)がよろしいのですが、南原(ナモン)の景色をお聞き下さい。東門の外に出て行かれると、関王廟(コァンワンミョ)は清く気高い英雄のようで、厳しい威風は昨日も今日も同じでございます。南門の外に出て行かれると天国の七つの星天にある月宮の広寒殿(クァンハンジョン)に似せてつくった広寒楼(クァンハンル)、同じく七つの星天の天の川にかかっている橋に似せた烏鵲橋(オジャッキョ)、そこの天人たちが遊べる楼閣に似せた瀛州閣(ヨンチュガク)がよいでしょう。北門の外に出て行かれると,青い空に金の芙蓉(ふよう)の花が突き刺さるようににょっきりとそびえ立ち、奇岩が浮き出た蚊龍山城(キョリョンサンソン)が素晴らしいので指示通りにいたします。」

 道令様が言うには、
「おい、お前の話を聞いてみると広寒楼と烏鵲橋が絶景のようだな。そこへ見物に行こう」

 道令様の振る舞いは、使道の前に行き、恭しく話されるのです。
「今日はのどかな天気なのでちょっと出掛けてきて、風月などを詠じたくなり、詩の韻でも考えながら城でも一周り回って来ます」

 使道は大いに喜ばれてお許しになり、
「南州の風物を見物して帰り、詩題を考えなさい」
「父上が教えられた通りにやってきます」

 李道令は退出して、
「房子! ロバに鞍(くら)をつけろ」
と言いました。


 房子は命令を聞いてロバに鞍をつけました。ロバに鞍を乗せるとき、赤い糸で作った面繋(おもがい)と立派な鞭(むち)と鞍、美しい毛布、黄金で作ったくつわ,青紅の糸で作ったきれいな面繋やら乗馬の頭の飾り付けを見事に飾りました。そしてくすんだ色の泥除け、銀の鐙(よろい)、虎の皮でできた前後ろ掛け、連なった鈴を念仏法師の数珠のようにくくりつけて、

「ロバの用意が出来ました」
 と言って道令様の様子を見てみると、玉顔(ぎょくがん)は天人のような姿できれいな顔、紙をチョゴリのすそ回しする時に使う木片のように長く垂らした髪はきれいにといて、油で髪をねかせてまっすぐにし、下ろした髪に結んだ絹のリボンは石黄で煮てあり、それをかたちよく束ねて編み、成川水紬織りの布をあて、白く染めた糸の細い麻の縁に縫い目の入ったズボン、極上の細かい木綿でできた二重の足袋に、藍色の薄い良質の絹織物のベルトをつけ、六紗緞(ユクサダン)でできたあわせの短い衣に琥珀のボタンをつけ、すねにつける紐を膝の下に緩く結び、英翕緞(ヨンチョダン)でできた腰紐に、毛翕緞(モチョダン)のトリナン(巾着の一種)を八つ縒り(より)の紐の結び目の輪を出して緩く結び、双紋翕(サンムンチョ)の長い掛けえり、チュンチマク(官職になっていない士の上着)に道袍(トポ:礼服)をかぶせ、黒い薄絹の帯を胸の上に緩く結んで、肉粉唐鞋(ユクブンダンヘ:皮の履物)の紐を引きながら、
「ロバを押さえろ!」
と言いました。

 あぶみを踏み、ひらりとまたがり、後ろをかばいながら出て行かれる時、金の泥を塗った胡唐扇(フダンソン:中国の扇)で日光を遮り官道である城南の広い道を生き生きと出て行く時は、酔って揚州にやって来た杜牧之(とぼくし)の姿のようではなかったでしょうか。周瑜(チュユ)を振り返らせるためにわざわざ曲調を過って演奏をした周瑜(三国時代呉の武将)の音をかえりみることでしょう。春の香りのする町で春の城の中にあり、城内の民でこれを見る者の一体誰がこれを愛さない人がいるのでしょうか。
広寒楼に急いで上がって四方を見渡すと景色が壮大で本当に素晴らしいのです。赤城(淳昌の地名)は朝の遅い霧が立ちこめ、緑の木々に春の終わりの花柳の東風が吹いています。赤い楼閣に日が差し、青い家屋と宮殿はお互いにきらめき、美しく輝き、臨高台に達しており、高楼の床が非常に高いのは広寒楼について聞いている通りでした。

 岳陽楼(アギャンル)、姑蘇台(コソデ)と呉楚の東南に流れる川は洞庭湖に流れて行き、燕子(えんし:中国にある樓閣の名)の西北の彭澤(ほうたく:中国の地名)がはっきり見えるが、もう一か所を見渡すと白い花や赤い花などさまざまな花が爛漫と咲く中で、オウムや孔雀が飛んで入って来て山川の景色を見回すと、実と幹からヤニがでてきて、葉がたくさん茂る松が美しく、柏の葉は春風にとても勝てずにゆらゆらとし瀧の流水、溪流の溪辺花は微笑み、枝の長く垂れ下がった大きな松はうっそうとして緑陰と香りのある草が春の花よりもましな時期だったのです。
桂樹、紫檀、牡丹、碧桃から取った四色が長川(チャンチョン)、蓼川(ヨチョン:南原の南を流れる江)にどっぷりと浸っていて、もう一か所を見渡してみるとどんな女性が春の間泣くような姿でもあらゆる春の情には勝てず、つつじをぽっきり折って髪にでも挿してみてしゃくやくの花もぽっきりと折って、口にしっかりくわえてみて、玉のようにきれいな手で羅衫(ナサム:絹で作った一重のチョゴリ)を半分だけまくし上げ、青山流水の清らかな水で手も洗い、足も洗い、水も飲み、歯を磨き、砂利をむんずと掴み、柳の枝のうぐいすをからかってうぐいすの目を覚ますという昔の詩はこれではないでしょうか。

 柳の葉をちょっとしごいて水にゆらゆらと浮かべてみて、白雪のような白い蝶、雄の蜂、雌の蝶が花の細い先をかみながらゆらゆらと舞を舞います。黄金のようなうぐいすは森へ飛んでいきました。




 広寒の実際の景色も素晴らしいのですが、烏鵲橋(オジャッキョ)はもっと素晴らしいのです。正に、湖南(全羅南北道の呼称)の第一城といえるでしょう。

 烏鵲橋がはっきり見えれば,牽牛織女はどこにいるのでしょうか。このような素晴らしい土地で風月がないわけがありません。道令様は文を二つ作りました。

 非常に高く明るい烏鵲橋の船に   (高明烏鵲)

 広寒楼の玉の石段、綺麗な高楼   (廣寒玉階樓)

 空の上の織女という星は誰だろう  (借問天上誰織女)

 御輿に乗った今日の私が牽牛になろう(至興今日我牽牛)

 この時,内庁から出された酒肴のお膳から一杯の酒を飲んだ後で通引(官庁の長に属して雑用をする下級の役人)と房子にも飲ませてやり、酔狂のあまり高慢になって煙草を吸い、口にくわえてあちこちをぶらつき、景色のよい所に面白みを覚え、忠清道も熊山、水宮、宝蓮庵を自慢したところでこの景色に匹敵することが出来るでしょうか。あかい丹(たん:赤)、あおい青、しろい白、あかい紅、いろとりどりの丹青、柳のうぐいすが鳴き交わす声が私の春の酔いを助けてくれるのです。黄色い蜂、白い蝶、黄色い蝶も香りを求めて動き回っています。飛んで行ったり来たり春城の中、瀛州(ヨンジュ:三神山)が、そして今や蓬来山が眼下に近く,水が本来は天の川の水で景色もちょっと天上の玉京に似ています。玉京が明らかになれば、月宮のハンア(月の中にいるという天女)はいないのでしょうか。

 この時は春三月と呼ばれましたが五月端午の日でありました。一年の中でも最も良い季節です。月梅(ウォルメ)の娘春香(チュニャン)もまた詩を書くときの音律に通読しているので、天中節(端午)を知らないはずはなかったのです。

 それなのでぶらんこに乗ろうと、香丹(ヒャンダン)を先にさせて一緒に下りて来る時、蘭のようにきれいな髪を二つの耳から垂らしてきれいに編んで金鳳のかんざしをまっすぐに差し、絹のチマを巡らした腰、咲ききらない柳が力なく垂れているように美しくきれいな身振りで、小股で搖れるような足取りで静々と歩きながら長林の中に入って行き、緑陰の香りのする草が生い茂った美しい芝生がさっと敷かれた所に、黄金色のうぐいすが雌雄連れ添って行き来し、百尺の長さもする高い所に結び、ぶらんこに乗ろうとして水禾榴紋(スファユムン:絹織物の一種)の単衣の緞のチマをさっさと脱いで掛け、白紡糸の真新しい肌着をあごの下まで高くしばり、慣れた動作でぶらんこの紐を纖細な玉のようにきれいな両手でそっと握り、白足袋の二つの足で軽く上がって強く踏むと、細い柳のようにきれいな体が端正にゆらゆらと動くのですが、後ろの飾りは玉かんざしと銀の竹節で、前の飾りを見ると密花粧刀、玉粧刀であり、クアンウォンサ(絹織物の名)のあわせのチョゴリと多色の結び紐という様子なのです。

「香丹、押して!」
一回力を加え,二回目を押そうと力を入れると足の下の細かい塵が風につれてもうもうと舞い上がり、前後にだんだん大きく搖れ出し頭上の木の葉が体の動きにつれてゆらゆらし、行ったり来たり。良く見ると緑陰の中の赤いチマの裾が風になびき、ちらちら見えて九万長尺もの白雲の中に稲光が光るようでした。ひょいと見てみると前方にいたのに、ひょいと再び後方にいるのです。前に早く動く時には軽い燕が桃花ひとつ落下するのに気をつけて追いかけるように、後ろに真っ直ぐに行く時は狂風に驚く蝶が連れを忘れて飛んで行ってぐるりと回るように、巫山天女(ムサンソンニョ:中国の楚の国王が出会ったという天女)が雲に乗って来て、陽台の上に降りるように、木の葉もくわえ、花もしっかり折って髪に斜めに差し、

「これ、香丹! ぶらんこの風が強くて頭がくらくらするから、しっかりぶらんこを掴まえて」

 掴まえようと何度も行ったり来たりしてしばらくはこうしてぶらぶらと遊んでいると、小川の岩の上に玉のかんざしが落ち「ちゃりん」という音がして、

「かんざし! かんざし!」という声を出しました。

 珊瑚チェ(珊瑚で作ったかんざし)を手に持った壊れやすい玉の小さい盤のようなその姿を形容するとすればこの世の人とは思われないほどなのでした。

(つづく)

 

次は 「ラブストーリー春香伝〜はじまり〜」

< 前のページへ

 

 

次は 「ラブストーリー春香伝(3)」

次のページへ >


 
ページの一番上へ
Copyright © Daikouji. All Rights Reserved.
大光寺