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●心は全ての基礎になる (2009.8.31) 

なぜ今「八萬大蔵経」なのでしょう

まえがき

 お釈迦様は私たち皆を子供のように大切にしたので、私たちみんなが一番の幸せ、元気で明るくなる道を教えてくれたのです。このような教えから精神的に甘えずに人生をつくりあげて、一歩一歩進んでいけば、生きている間も死んでも、来世も幸せになることができるのです。
 お釈迦様が私たちに教えてくれたことは大きな力です。自分自身がしっかりし、親も国も世界も一緒にしっかりさせることができるのです。

 もし私たちが心が勝手に思うことを野放しにして、思いつくままに実行してしまえば、私たちは身が持たないでしょう。辛い恨みや苦しみを晴らすために愚かな事をしてしまうことがあります。その時はパニックのような状態で、心を落ち着けて、コントロールすることは本当に難しくなっているのです。世の中で起きている事件事故はこのコントロールがきかなくなることでおこる不幸がたくさんあります。

 他人のことは簡単に「そんな行動をとるなんて」と愚かに見えたとしてもいざ自分のこととなるとほとんどの人がそのように振舞ってしまうのです。心は放っておけば弱くなり、愚かなままです。 その心がもつ勝手な思い、わがままをまずきれいにすることが大切なことのひとつです。そして、不安やパニック、混乱の状態に陥った時にこそ、心の命令のままに行動を起こすかどうかを冷静に判断できることも大切なのです。

 その方法を知ることが本当の学びなのです。そのために教育があると言っても過言ではありません。私たちが親から、先生から、周囲の人たちから学んだ大切なことは、習慣となって自然に行動できるようになっているのです。それなので、特に子供時代の教育はとても大切なことなのです。それは知識だけでなく、智慧が必要とされるのです。

 心はゆれ動くものですが、それでもしっかりとさせ、落ち着いた行動がとれる習慣は、幸せな道を明るく、楽しく切り開いていく力となります。そのための教えがこの八萬大蔵経に書かれています。私が修行時代に師匠のお坊さんからいただいたこの本は韓国で世界遺産ともなっている海印寺(ヘインサ)の「八萬大蔵経」の一部で、修行時代に寝ないで読んだものです。お釈迦様の説法をもとにして作られた壮大な経典です。

 お釈迦様が生まれてから2千5百年もの長い間、私たちの心の支え、力となった言葉を、現代の弱くなって揺れ動く心の時代にもう一度ひとつひとつ、みなさんと一緒に読んで行きます。軽く見ずに習慣とさせるように何度も何度も繰返し読んでみて下さい。一見すると聞いた事がある話かもしれませんが、そこここに私たちの実体験からくる話が掲載されています。現在苦しんだり、悩んだり、辛く思っている事を解決するヒントが散りばめられています。心の底から素直に読んでみて下さい。
 汚れた水を少しずつきれいにしていくように。きれいな心で、私たちが幸せになれるように願っています。

(終)

「八萬大蔵経」 法句経の教訓 (1)
1節 心は全ての基礎になる

  1. すべてのことは気持ちに先立って、気持ちを主として、気持ちにもとづいて成り立っています。人がもし汚い気持ちで話し、さらに行動すれば、そのために苦しみがそれについていくことになり、それはまるで車輪がそれを引きずる人について行くことと同じことです。
  2. 全てのことは気持ちに先立って、気持ちを主として、気持ちに基づいて成り立っています。人がもしきれいな気持ちで話し、また行動をすれば、そのために楽しみがそれについてくることになり、まるで影が姿について行くことと同じことです。
  3. この世界で恨みは恨みとして休まることがないのです。恨みがなければそのまま世界がついていくのです。この法はいつでも変わらないのです。 そしてたくさんの人々は「わたしたちはこの世界で自らを抑制しなければならない」と悟ることができません。人がもしこのように悟れば、そのために争うことはなくなります。
  4. 生活の中で楽を求め、感官(感覚器官)の歯止めをかけず、食事に節度がなく、なまけて、怯えて、心が弱くなれば、悪魔はその人をひっくり返して、だめにすることになるのです。まるで弱い木に風が吹いて来る状態と同じです。
  5. 生活の中で楽を求めずに、感官に歯止めをかけて、食事に節度があり、心があって、勇猛ならば、悪魔はその人をひっくり返さないのです。まるで堂々とそびえ立つ山に風が吹いて来る状態と同じです。
  6. 真実でないことを真実として考え、さらに真実を真実ではないこととして見る人は真実を知ることはなく、正しくない考えを持っているのです。
  7. 真実を真実として知り、真実でないことを真実でないと知る人は真実を知っていて、正しい考えを持っています。
  8. わらぶきの屋根のわらをまばらにおけば、雨がくると必ず雨漏りすることになるのと同じ様に、心に修養がなければ、貪欲が心に穴を開けてしまうことになるのです。
  9. 屋根のわらを細かく敷けば、雨漏りすることはないのと同じ様に、心をよく修養すれば貪欲が心に穴を開けてしまうことはないのです。
  10. この世で心配して、死んだ後で心配して、罪をつくる人はふたつの場所で心配するのです。その人は心配し、苦痛になるのです。――自分の汚い業(カルマ)を見たからです。
  11. この世で喜び、死んだ後で喜び、福をつくる人はふたつの場所で喜ぶのです。その人は楽しみ、喜ぶのです。――自分のきれいな業(カルマ)を見たからです。
  12. この世で悩み、死んだ後で悩み、罪をつくる人は二つの世界で悩むのです。「私は悪をつくった」と考え悩み、悪い世の中に陥ってまた悩むのです。
  13. この世で喜び、死んだ後で喜び、福をつくる人はふたつの世界で喜ぶのです。「私は福をつくった」と考え喜び、良い世の中に生まれてまた喜ぶことになるのです。
  14. 経典をどんなにたくさん覚えても、これを行動しないわがままな人は他人の牛を数える牛飼いと同じで、修行に入っていくことはできないのです。
  15. 経典をどんなに少なく覚えても法にそって行動し、貪欲と怒りと愚かなことを捨てて、知識は正当になり、心は完全に「解脱」し、この世でもあの世でも執着することがなければ、その人は修行に入っているのです。
  16. わがままに行動しないことは死なないことと同じであり、わがままに行動することは死ぬことと同じ意味をなすのです。わがままに行動しない人は死んでなく、わがままする人は死んでいることと同じです。(社会的な役割の意味です)
  17. この道理を明らかにして知り、わがままをよくしない人は、わがまましないで、種を撒いて実ったことを楽しみ、聖者の世界を楽しむのです。
  18. その人たちは静かに考え、粘り強く我慢し、いつも勇猛になり、聡明な智慧と最も良い平安の「ニルヴァーナ(涅槃)」の中に入るのです。
  19. 一生懸命努力して、深く、深く考えて、清い行いを努力して、自らを抑制して、法を守って生活し、わがまましなければ、その人の称賛とほめたたえることに加え、成長していくのです。
  20. 一生懸命努力し、わがまませず、自分で抑制することによって、さらに十分に実らせることで、智慧のある人は荒々しい波にも流されずに洲をつくることになるのです。
  21. 愚かな凡人はわがままな行動に陥るのです。けれども智慧のある人はわがまましないことをまるでとても貴重な財産を守るようにできるのです。
  22. わがままに陥ってはならない。貪欲の楽しみに慣れてはならない。静かに考え、わがまましない人は大きな楽しみを得ることになるのです。
  23. わがまましないことによって、わがままを押しのける識者は智慧の明るい人の家に登って行き、不安にならずに不安で苦しんでいる人たちを眺めるのでした。山の上にいる人が、平地にいる人を眺めるのと同じようで、平然として愚かな人を見ているのです。
  24. 悩んで不安になっている人の中にいて、悩まないでいる人は、眠っている人たちの中にいて、目が覚めている人で、よく駆け抜ける馬と同じように、遅い馬を後ろにして抜き出てしまう人なのです。
  25. 摩掲梵(マガルボム)は欲張らずに努力したことによって、すべての神の主人になることができたのです。人々はそのすべての無欲で努力した結果を称賛したのです。わがままや欲張りはいつも非難を受けるのです。
  26. わがままをしないことを楽しみ、わがままを恐れる出家は世の中を生き抜きながら、大きくて小さい煩悩を燃やすような炎と同じような強い力なのです。
  27. わがままをしないことを楽しみ、わがままを恐れる出家は後ろに下がる道理がありません。
  28. 意志は軽く、ふわふわと飛び回り、あちこちと揺れ動き、規則を守ることがむずかしく、行動を抑えることは難しいのです。けれども智慧のある人はこれを正しくするのです。まるで矢をつくる職人が弓を正しく直すことと同じようなのです。
  29. 魚が川で捕まえられて、土地に投げ出されるのと同じように、悪魔の支配から抜け出そうとし、私たちの心は揺れているのです。
  30. 混乱している状態を治めるのが難しく、むやみに暴れてしまう心を落ち着けることができる人は素晴らしい人です。そのように落ち着かせた心は楽しむことを引っ張り出してくれます。
  31. なかなかみることが難しくて、とても繊細で、やたらに揺れ動く心があっても、智慧のある人は法を守らなければならないのです。法を守ることは楽しみを引き出してくれるのです。
  32. 遠くに一人で行き、形のない心を制御できる人は悪魔の束縛から抜け出すことができるのです。
  33. 心が楽な方に流され、正しい法を知らず、信じる心が奪われてしまえば、智慧が円満にはならないのです。
  34. 心の貪欲や執着を断ち切って、考えが揺れたり、気ぜわしくなったりしなければ、それはすでに罪と福への考えを断ち切っているので、一度解脱した人にとって恐れがあるはずはないのです。
  35. この体を瓶と同じように見たてて、この心を城のように平安でいるようにし、智慧を武器として悪魔と戦い、その捕虜を守り、おろそかにしてはならない。
  36. あぁ、この体は時間が長くも経たずに地面の上に倒れるのです。精神の成長がなくなってしまえば、捨てられて、まるで役に立たない材木と同じ様になるのです。
  37. 仇が仇に対して言うことや、敵が敵に対して言うことがたとえどんなであっても、嘘によって心がつくる害悪よりも劣るものはないのです。
  38. 両親、さらにその外の親戚達の言うことがたとえどんなことであっても、正直によって心がつくる幸福よりも劣るものはないのです。
  39. 誰がこの土地を征服するのだろうか? 誰がこの閻魔界と天界を征服するのだろうか?良い言葉を使った静寂によって進むべき道を進み、それはまるで善良な人が花を摘み取るのと同じように誰がするべきだろうか?
  40. 今この本(仏教の本)を読む人はこの土地を征服するのだ。さらに閻魔界と天界を征服するのです。今この本(仏教の本)を敬って読む人は良い言葉の静寂として進むべき道を進むことをまるで善良な人が花を摘み取るかのようにするのです。
  41. この体は泡のようだと知り、かげろうのようだと悟る人は閻魔の花の弓矢を折り、死の王に会うことはないのです。

 

 

 

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