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●仏様が世界に現れた理由とは (2009.9.2) 

「八萬大蔵経」 法句経の教訓 (3)
2節 仏様が世界に現れた理由とは

  1. 全ての生命は鞭で叩かれる事を恐れているのです。全ての生命は死を恐ろしく思っているのです。自分の生命において、このことを比べて他人の命を奪ったり、殺すようにさせてはなりません。
  2. 人が聞くのを嫌がる怒りの言葉を言ってはなりません。人もこのように自分と同じ様に返すことになるのですから。悪がその人に入ったら、怒りが巡って戻ってくるのです。悪口が行き交えば、暴力が行き交うことになるのです。
  3. 牛飼いが牛を追い立てるように、牛が牧場で遊ぶように、歳をとる事と死ぬ事もまたこのように人の命を休みなく自然になくしていくのです。
  4. 良い言葉に鞭を加えれば、勢いをつけて遠くに走るように心には信じること、行動には戒律があり、瞑想があり、智慧があり、精進があれば智慧と行動をあまねくそろえて、全ての苦しみから抜け出して解決できることになるのです。
  5. 何を笑って、何を喜んでいるのか。世界は休みなく動いているではないか。その中でお前たちは暗い闇に覆われているのだな。どうして明るい光を探さないのか。
  6. 命が尽きて精神が抜け出れば、秋の野原に捨てられたひょうたんのように肉体は腐って、骨と皮だけの白骨だけが転がることになるのに――何を愛して、楽しむ事があるのでしょうか。
  7. 柱を並べて、宮殿をつくり、肉をつけるように壁を塗り、血がめぐるように人が中で動いて、その中では歳をとること、死ぬ事、そして傲慢と怒りをもそこにあるのです。
  8. 私の家、この肉体をつくった人を見ることもできないのに、どれだけ生まれ変っていて、どれだけたくさんの苦痛をあますことなく経験して、何度もこの世界に生まれてきたのでしょうか。
  9. 清い行動も磨けずに、若いときに人間関係や仕事、経験、家族などから得た全体的な財産を貯えられなければ、魚のいない空っぽの池をむなしく守っている歳とったトキのようにさびしく死ぬことになるのです。
  10. 他人を教えるときのように、当たり前に自分自身を正しく磨きなさい。コントロールが難しい自分自身を磨かずにどんなふうに他人を教えて、磨いてあげる事ができるのでしょうか。
  11. 自分の心を先生としなさい。他人について行って、先生と思ってはならない。自分自身をしっかりきれいに磨いて先生とすれば、授かることの難しい先生を授かることになります。
  12. もともと自分自身がつくったカルマなのです。あとになって、自分が自ら受け取るのです。自分がつくった罪は自分自身を試してしまうので、自分自身をなくすことになるのです。金剛石が宝石を壊すように悪いのです。
  13. 悪いことは自分自身を危なくさせるのです。けれどもそれは行動することが簡単なのです。善良なことは自分自身を平安にさせることができるのです。けれどもそれは行動することがなかなか難しいのです。
  14. 自ら悪を行動して、その罪を受けるのです。自ら良いことをしてその福を受けることになるのです。罪も福もすべてが自分次第なので、誰がそれを代わりに授かってくれるのでしょうか。
  15. 怠けないで力をおこして立ち上がりなさい。正しい法について楽しく前に進みなさい。正しい法についていけば、安心してよく眠れるのです。世の中でも、またあの世でも安心するのです。
  16. 人が先に間違えることがあっても、後に二度と繰り返さなければ、その人はこの世界をよく照らすのです。月が雲の中から晴れた空に出てくるのと同じ様に。
  17. その川から離れた鴈(ガン)の群れが空高く飛ぶように善良な人は悪魔たちの群れを叩き壊して、世界のことを遠く離れた山の中で静かに修行しているのです。
  18. この天下を手に入れることよりも、天下の福を受けることよりも、すべての世界の王様の席よりも、聖の道に入っていくことがもっと秀でているのです。
  19. 人の体を得ることは難しいのです。世の中に生まれて、長生きすることは難しいのです。如来が世界に生まれることが難しいことと、その如来の説法を聞くことが難しいのです。
  20. 全ての悪をつくらず、全ての善を敬い行動し、自らその気持ちをきれいにすること、これがすべての如来の教えなのです。
  21. 天国が七宝を雨のように降らせても、欲望はむしろ満たされることはないのです。楽しみは少しだけで、苦しみがたくさんあると、善良な人はこれを悟って理解したのです。
  22. 天国の楽しみを受けても、これを捨てて欲張らずに、楽しい愛から離れることができれば実にそれは如来の弟子なのです。
  23. 如来の現れたことは嬉しい事なのです。説法を説かれることは嬉しい事なのです。お坊さんたちが仲良くすることは嬉しい事なのです。お坊さんたちが仲良くすればいつも快いのです。
  24. 真理をみて心がきれいで考えの深い海をすでに渡って、如来が現れたので、世の中を照らされることは、人々のすべての苦痛をすくいだされるためにするのです。
  25. 恨みの中にいても、腹立たしく恨めしいことがないゆえに、来世はすでに平安になるのです。全ての人が互いに恨んでいる中で私一人だけでも恨みのないように暮らしましょう。
  26. 勝利は怨恨に勝ち抜いて、戦いに敗れた人は苦しみ、倒れるのです。勝ち、負ける心すべてから離れて、争いがなければ自然に平安になるのです。
  27. 性欲に燃える炎がなく、怒りに染まる毒がなく、私の体に染み付く苦痛がなく、静かになること以外に楽しみはないのです。
  28. 神々しい人を見ることがうれしく、神々しい人を敬うことがうれしいのです。愚かな人から離れることができ、善良なことを行い、一人で楽しむのです。
  29. 善良でたくさん聞いて智慧が明るくなり、欲望を我慢し、戒律をもった神々しい人は神々しい人を敬うのです。その人は星のない空にある月と同じようなのです。
  30. 道をはずれれば、自分に従うことになり、道に従えば、自分に背くことになるのです。この意味をわからずおもむくままに行動すれば、その人は愛欲に従っていくことになるのです。
  31. 愛する人をもたないほうがよい。憎む人ももたない方がよいのです。愛する人は会えないと苦しくなり、憎い人は会うと苦しくなるのです。
  32. それなので、愛をつくってもたない方がよい。愛は憎しみの根本になるからで、愛も憎しみもない人はすべて束縛と心配がないのです。
  33. まるで人がふるさとを離れて、長い間ひとりで放浪し終わって、遠くから夢中に帰ってくるときに、親戚や友人達が嬉しく出迎えてくれるのです。
  34. この世の中で楽しく福をつくれば、現世から来世に行く人は親戚たちの魂の喜ぶ出迎えを受け、自分自身がつくった福の種(カルマ)の実を受けることになるのです。
  35. 今日からでなく、遠い昔から人々はお互いにけなして、言葉をおおくしても批判を受けて、言葉がなくても批判を受けるのです。言葉が少なくても批判を受けるのです。批判を受けない人は世の中にはありません。
  36. 批判だけ受ける人や褒め称えることだけを受ける人もなくはなく、またそれだけの人はいないのです。讃嘆も非難でもむなしくないので、全てがその名前と利益のためなのです。
  37. 怒りを捨てなさい。傲慢を捨てなさい。全ての愛欲と貪欲を捨てなさい。精神にも物質にも執着しなければ静かで平安になり、苦しみがないのです。
  38. 欲望を我慢するので、憤りに打ち勝ち、善良で悪に勝ちなさい。布施をすることによってけちくさい気持ちに打ち勝ち、誠実な心で嘘に打ち勝ちなさい。
  39. 体を大切にし、言葉に気をつけて、また心を冷静に管理し、全ての怒りをなくして、悟りの道に沿って行動しなさい。悪口に対して我慢することが最も強くあることなのです。
  40. お前はもう枯れている木の葉っぱと同じなのだ。閻魔の死神はおまえの傍の近くに来ていて、お前はもう死の別れの扉に立っている。けれどもお前にはこれ以上未来に生きる道がない。
  41. お前はお前の帰依する場所を作りなさい。一生懸命努力しなさい。善良で智慧が明るくなりなさい。心が欲張ってもっているカルマを捨てて汚れがない人は、天国の神々しい場所に生まれ変ることになるのだ。
  42. 善良な人は一歩一歩ゆっくりちょっとずつ、瞬間瞬間のかじ屋が銀のさびをはがすこととおなじく、自分の汚れを磨いてなくしなさい。
  43. 鉄で出るさびは鉄でできているので、すぐに鉄をなくすことと同じ様にきれいにできないで行動する人は自分がつくった業(カルマ)によって汚い事についていくことになるのです。
  44. 恥ずかしくないことがわからなければ、面の皮が厚く、たちの悪い性格で傲慢になって、大胆で、徳を捨てる人には生活はたやすいのです。
  45. そして、恥ずかしいことがわかって、いつもきれいに努めていて、執着がなく、謙遜して、きれいに生活し、このように智慧が明るく、正しい判断をもっている人には生活は難しいのです。
  46. 人はもし動物を殺し、嘘をついて、人があげないものを奪い取って、他人の妻を犯して
  47. 「欲しがり」とか「浮気」にはまり、その中に浸ってしまえば、この世で、すでにその人は自分の全てを失う人なのです。
  48. 人たちよ、このように知りなさい――節約と正しい道がないことは悪なのです。むさぼる欲望と正しくないことについて行けばその道で苦しみ、損をすることになるのだから、そうならないようにしなさい。
  49. 貪欲に比べられるだけの火はなく、怒りに比べられるだけの執着がなければ、愚かさに比べられるだけの網がなく、愛に比べられるだけの河はないのです。
  50. 他人の悪い事と間違いを見つけるのは簡単だけれども、自分自身の悪い癖と間違いを見つける事は難しいのです。他人の間違いはもみの殻と中身の欠けているもののように、風にさらして、揺らして飛んでいくのだけれど、自分の間違いはずるい賭博師が私に利益にならないさいころをふって目くらましを食らわすことと同じなのです。
  51. 人がもし他人の間違いを探していつもその人をばかにすれば、その人の心の汚れはさらに増えて大きくなるのです。それでその人の心のカルマがなくなることははるかに遠い事なのです。
  52. たくさんの言葉を話すことだけでは智慧のある人ではありません。正しく憎むことがない人を智慧のある人だというのです。
  53. たくさんの言葉を話すことだけでは正しい法をもっている人ではありません。もしちょっとだけ正しい法を聞いたとしても、これを自分自身が直接に磨いて行動すれば、本当の法を持っている人なのです。その人は正しい法をむやみに話すことはないのです。
  54. 頭髪が白くなったと言っても長老ではありません。その人は歳をとっていて、限りなく老いたと言う事が出来るだけなのです。
  55. 人がもし真実と正しい法と人の邪魔をしないことと戒めと優しい善良があれば、まさにすでにカルマをなくした智慧が明るい長老だと呼ばれるのです。
  56. ただ言葉だけ上手に話し、さらに顔のきれいさによって、嫉妬し、けちくさくなり、ごまをする人は善良な人になれません。
  57. 頭を剃ったと言っても、戒律がなく、嘘をつけば「サマナ(お坊さん)」ではないのです。貪る欲望を持った人がどのように「サマナ」になれるというのでしょうか。なれないのです。
  58. 人がもし大きく、すべての過ちをなくせば、過ちが終わったので、「サマナ」と呼ばれることができるのです。
  59. 「比丘(お坊さん)」よ、私はただ戒めを持って、あるいはさらにたくさん学び、また心の安全を受けて、あるいは暇で静かな場所にいるのです。
  60. これによって凡人の役に立たない悟りの楽しみを自分自身で経験できていなかったのです。比丘よ、まだ心の中の汚れをなくせなければ、私の意志を簡単に思うな。


 

 

 

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