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●私たちは本当の苦しみを知っているだろうか (2009.9.3) 

「八萬大蔵経」 法句経の教訓 (4)
3節 私たちは本当の苦しみを知っているだろうか

  1. 全ての道の間では八支(八聖道)を第一とし、全ての真理の間では四句(四聖諦)を第一とし、全ての徳の間では離欲(欲をなくすこと)を第一とし、二足(神通力)の間では具眼(見えないものが見える眼)を第一としなさい。
  2. これは必ず正しい思想の道なのです。他に正しい道がないのです。あなたたちはこれを実行しなさい。この世は「マーラ(悪魔)」の幻化なのです。
  3. あなたたちがこの道を実行すれば、当然苦しみを終わらせることができるでしょう。私はすでに毒によって矢がなくなることを悟り、あなたたちにその道を話すのです。
  4. あなたたちは当然のように一生懸命にしなさい。如来は教える人なのです。考えて磨いて行動する人は悪魔の束縛から抜け出すのです。
  5. 「全てのつくられたものは正当であることがないのだ」と、智慧によって知れば、それによって苦しみから離れるのです。これが浄に至る道なのです。
  6. 「全てのつくられたものは苦しみなのだ」と、智慧として知れば、それによって苦しみから離れるのです。これが清らかさに至る道なのです。
  7. 「すべての法は『わたし』がないのだ」ということを智慧として知れば、それによって苦しみから離れるのです。これが清らかさに至る道なのです。
  8. 言葉をつつしみ、意味を守って、体にやさしくないことをせず……。この三種類の業(カルマ)の道をきれいにしなさい。お釈迦様の話すところの道を授かることになるのです。
  9. 男が女に対して、まだ少しの小さな愛があったとしても、これを断たない間は、それは束縛を受けるという意味なのです。乳を飲む子牛がその母牛に対してのものと同じなのです。
  10. 自分の愛を断ち切りなさい。秋の蓮の花を断つことと同じで静寂への道をつくっていきなさい。お釈迦様は「ニルヴァーナ」を教えました。
  11. 秋にはここにとどまるのです。冬に、さらに夏にもここにとどまるのです。このように愚かな人は考えながら、死に至ることを悟らないのです。
  12. 子孫と家族に及んで、熱中し執着する人を死は捕まえて連れて行ったのです。荒々しい波が村をさらってしまうようにしたのです。
  13. 子息も救い出さないのです。父も友達もさらに親戚も救い出すことができないのです。死に捕まえられた人を。
  14. この道理を知って、智慧のある人は戒律を守り、急いで「ニルヴァーナ」に至る道をきれいにしなさい。
  15. 小さくて足りない楽しみを捨てるので、広くて大きな楽しみを授かるならば、善良で大きい智慧のある人は広くて大きい楽しみを見て、小さくて足りない楽しみを捨てることになるのです。
  16. 人を苦しませて、自分の楽しみを求める人は恨みと憎しみの迷いの中に落ち込んでいるので、恨みと憎しみから抜け出すことはないのです。
  17. もし当たり前にすることをむやみにして、当たり前にしないことをして、傲慢にしてわがままをすれば、その人には心の汚れが加わって増えていくのです。
  18. 人がもしいつも精一杯して、体を大切にするならば、当然にすべきでないことをせずに、限りなくあたりまえにするべきことをするので、すぐに正しい智慧として心の汚れを終わらせることになるのです。
  19. 家を移すことは難しいのです。出家の行動を楽しむことは難しいのです。家は住むことが難しく、苦しむ事なのです。友達と一緒に生きることは苦しみなのです。人が老けたら苦しみがついてくるのです。それなので人は歳をとらないことを望み、さらに苦しみがついてこないことを願うのです。
  20. 優しい人は<ヒマラヤ>山のように遠いところにいても現れるのです。優しくない人は近いところにいても、現れないのです。夜に放つ弓と同じです。
  21. 一人でちょっと座ったり、ちょっと横たわったりすることを、法を守るようにおろそかにしないで、ひとりで自分をきちんと管理し、森の中にいるように静かに楽しまなければなりません。
  22. 嘘を言う人は地獄に落ちるのです。あるいは自分で悪い事をしても、私はそれをしなかったと言う人も地獄に落ちるのです。この二人の人は死んだ後でも全て一緒に汚い業をもっている人になるのです。
  23. 戒律を破って節度がなく、民たちが与えるものをもらって使うのならば、むしろ火花のように熱い鉄が溶けたものを飲まなければならない。
  24. 乱暴をして人の妻を犯す人は、四種類のことを被るのです。悪い噂をたてられ、寝たきりで不快となり、人の批判を受け、そして地獄に至るのです。
  25. 当たり前にするべきことはこれをしなさい。勇気をもって、雄雄しくこれを行動しなさい。愚かで飛びかかる外道はむしろたくさんのちりを飛ばすのです。
  26. 悪い行動はしないほうがよいのです。悪い行動をした後で不安と悩みを呼ぶのです。優しい行動はするほうがよいのです。した後で悔いがないのです。
  27. 辺境の城を内と外で一緒に守るのと同じ様に自分を守りなさい。ちょっとでもむやみにしてはならない。
  28. 正しく出来ない意見を持ち、恥ずかしく思わないことを恥ずかしく思い、恥ずかしいことを恥ずかしくない人々は悪道に生まれ変るのです。
  29. 正しい意見を持ち、避けることを避けるべきと知り、避けないことを避けるべきでないと知る人々は善道に生まれ変るのです。
  30. 象が喧嘩をする場所にいて矢を放つ弓を待っているように私たちは人の批判を待って我慢しよう。多くの人は戒律を破る人なのだ。
  31. よく手なずけられた象は人がこれを戦場に引っ張って行っても、よく手なずけられた象なので王様が乗ることができるのです。自分でよく扱い、人の批判に耐えることは人の間では一番なのです。
  32. よく手なずけられたラバも良く、<インダス>川で現れるよい馬も良いのです。大きな奥歯を持っている象もよいのです。自分をよく扱う人はさらに良いのです。
  33. 眠ることを好み、料理に貪欲をあらわし、心が暗く、卑しくなれば、ごろりと眠り、穀物で太り、大きくなるのと同じように愚かな人はより苦しい三毒の網の中に入っていくのです。
  34. あなたたちは勝手気ままにしないことを楽しみなさい。自分の心を守りなさい。難しい場所(煩悩)から自分を救済しなさい。汚水に落ちる象と同じことになるのです。
  35. むしろひとりでいくことが良いのです。愚かな人と組んではならない。ひとりできて、悪をつくらないようにしなさい。欲望が少なく森の中の象と同じになるのです。
  36. 友達はことがおこるときに楽しいことになるのです。満足は全ての楽しいこととなるのです。福は人生が尽きるときに楽しい事となるのです。全ての苦しみがなくなることは楽しいことなのです。
  37. 戒律を持って、歳をとっていくことは楽しみなのです。信仰が強固になることは楽しみなのです。智慧を授かることは楽しみなのです。たくさんの悪をつくらないことは楽しみなのです。
  38. 静かに考え、貪欲からはなれて、しっかりと法にとどまり、もうすることをして、心の汚れがなく、最上の意味を悟る人を私は「ブラフマン(サマナと呼ばれるお坊さんの最高の位に位置する人)」と言うのです。
  39. 海は昼に輝き、月は夜に輝き、軍人は武器を輝かせ、「ブラフマン」は静かな考えとして輝き、お釈迦様は威厳のある光として全ての迷妄の暗闇を照らすのです。
  40. 「ブラフマン」を叩いてはならない。打たれた「ブラフマン」は叩いた人に復讐してはならない。どのように「ブラフマン」を叩くのだろう。むしろどのように叩いた人に復讐するのだろうか。
  41. 愚かな人よ、結髪(髪形を整えること)が私をどのようにするのだろうか。鹿の皮の服が私にどのようにするのだろうか。私の中に深い森があるためにただ表層を飾ることなのだ。
  42. 糞掃衣(プンソウィ:みすぼらしい袈裟のこと)を着て、げっそりとやせて血管が見えたとしても、一人森の中にいることで、静かに考えられる人を私は「ブラフマン」というのです。
  43. 悪をつくらなかったので、咎めること、鞭打たれること、縛られることに耐えながらそれを受けたので、その耐える力をもってその力をつかって耐える人を私は「ブラフマン」と呼ぶのです。
  44. 蓮の葉っぱの上に降り注ぐたくさんの水のように、針の上のお盆のように、欲望に染まらない人を、私は「ブラフマン」と呼ぶのです。
  45. 争いの中にいて争わず、騒々しい中にいて怒らず、有取(執着のあること)の中にいて無取(執着のないこと)の人を私は「ブラフマン」と呼ぶのです。
  46. 人がもしこの世にいて、あるいは短くて、あるいは長く、あるいは粗くて、あるいは静かで、あるいはきれいで、あるいはきれいでないことを問わずに、与えられない物を奪い取らなければ、私はその人を「ブラフマン」と呼ぶのです。
  47. 人のくさりを切って、神のくさりを越えて、すべてのくさりの束縛から離れれば、その人を私は「ブラフマン」と呼ぶのです。

 

※「ブラフマン」は韓国語では「テドック(大師)/デソンサ(大禅師)」と呼ばれていて、お坊さんの一番徳が高く、法力が強く、すべてがそろっている法の王のことをいいます。


 

 

 

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