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●六波羅蜜・三毒(2008.12.11 改訂12.30)

六波羅蜜

 六波羅蜜は大乗菩薩の六つの重要な修行徳目で実践的な仏教を遂行する核心を成しています。六波羅蜜を理解するためには菩薩の意味を明確に理解する必要があります。

 菩薩と言うのはボリサルタ(菩提薩)の標準語です。「菩」は悟り、「提薩」は衆生といい、悟りを求める衆生と言う意味です。すなわち、衆生の世界で悟りを求めて衆生を済度する(教える)こと(仏様の智恵をもらい、自分で開いて、下の苦しい人々を功徳する:上求菩提 下化衆生)が菩薩の最上重要課題であるということです。
  これは先に悟りを得た後衆生を教化するというのではないことに注目しなければなりません。悟りを求めるのがすぐ衆生を済度することであり、衆生を教化することがすぐに悟りを求めることを意味するという点です。

 したがって、地蔵菩薩様は 「地獄で苦しんでいるすべての衆生を済度する前には決して私は成仏しない」 といいました。
また阿彌陀仏様の前世である法蔵比丘の誓願(希望)を見れば
「たとえ私が仏になると言っても、つらい衆生に悟りを開いてくれることができるのではないなら決して悟りを得ない」 という意味が繰り返されていることを分かります。菩薩は苦痛の中にいるすべての衆生を済度するために、自分のすべてのものを惜しまないで献身的に奉事するのがまさに自分を完成する道と信じる大きな希望の実践者であるのです。
このように菩薩たちが社会と衆生のためにする行いはすぐに六波羅蜜であるといえます。

波羅蜜と言うのは 「彼岸に至った状態」を言います。言い換えれば完成(究極的な目標)に至る長さと言う意味です。したがって六波羅蜜と言うのは 『上求菩提 下化衆生』を成すための菩薩の切実な六つの希望や道でもあったのです。

六波羅蜜の一番目は布施波羅蜜です。
布施波羅蜜は限りなく施すことを意味します。私たちの生は施してくれなければならない生活なのです。貪、瞋、痴という三毒に染まって私が追い求める心を捨てなければならないのです。捨てる時に真実を得ることができるし、その捨てる精神の方便が布施なのです。きれいな心で施して、報いを期待しないで施して後悔することがない無住相布施をしなければなりません。布施には財物を与える財施、仏法を伝える法施、精神的な安堵感を与える無畏施の三種類があり、この中では法施が最高になります。

六波羅蜜の二番目は持戒波羅蜜です。
戒波羅蜜は仏教を信じる人の倫理的生活を示しています。国家には法律があって社会には道徳があります。仏教信者が守らなければならない一番基本的な戒律は生き物を殺さない(不殺生)、盗みを働かない(不偸盗)、浮気をしない(不邪淫)、嘘をつかない(不妄語)、お酒を飲まない(不飲酒)という五戒があります。一歩進んで出家した比丘と比丘尼にはそれぞれ 250個、348個という具足戒があります。戒波羅蜜と言うのは、このような戒律をよく守ることであり、信者たちが戒律を守るにあたって負担を感じたり傲慢な心を持ったりするのはよくないことです。戒律を守ることは倫理的制約ではない新しい生を開く希望の教えであり、自分の人格的完成のための修練であると同時に円満な社会を成す近道なのです。

六波羅蜜の三番目は忍辱波羅蜜です。
忍辱波羅蜜はつらさを受け入れて堪えることを言います。少しだけ腹立たしいことがあっても堪える事ができなかったり、挫折するなどして心に動揺が起きないようにすることが私たちが進まなければならない遂行の道なのです。自分という個体にとらわれすぎず、平和な心で深い優しい心を持つことで忍辱(我慢する事)が成り立つのです。対立と分裂の状況にいる時、自分の過ちを厳しく批判して相手を寛大にやさしく扱わなければなりません。徹底的な自己反省する時、私と周りが一つになり、理想と現実が一つになって衆生と仏が一つになって、究極的な煩悩と菩が良い方向に一つになるのです。

六波羅蜜の四番目は精進波羅蜜です。
精進波羅蜜は一生懸命に努力して怠けを無くす生活として休まず努力することを言います。絶え間ない努力だけが自分の姿勢を整える良薬になるのです。ぼんやりとした心持ちと散乱した心を直して絶えず涅槃を追い求める姿勢に私たちの生活を導いて行かなければならないのです。限りない正しい真理を他人に伝えることで苦海で喘ぐ無明の衆生の目を覚ます事は菩薩の願力から始まった絶え間ない自己反省の厳しい鞭で前進しなければならない事です

六波羅蜜の五番目は禅定波羅蜜です。
禅定波羅蜜は散乱した心を沈めて物静かに思索することを言います。仏教は他の宗教と違い存在の本当の姿を明らかにして私たちの腹の中に込められている無知を打破しようとする宗教なので禅は重要な一つの遂行法でした。私たちの心は常に外部刺激によってあちらこちらに動きます。心の煩悶は私たちを憂鬱にしながら迷わせます。あの遠い所に、あの空に真理があると思って勘違いして結局自分から離れた真理を捜そうとします。私たちの心は本来きれいで塵ひとつない鏡のように宇宙の森羅万象のすべてを(透視して)映し出すことができます。真理は本当の心の中にあると言います。禅定は無我の境地に入って本来の真の自分を出すことです。これを確認する作業が禅定波羅蜜です。

六波羅蜜の六番目は般若波羅蜜です。
般若は最高の智慧と言う意味ですべての分別心(判断力)をなくした智恵として先に上げた五つ波羅蜜を導く柱です。般若波羅蜜によってすべての存在は自性が空っぽであることを感じて本当の姿を直観する(霊感)悟りを得るようになります。事物の実際を分かろうとすれば現象にだけ執着してはいけないのです。比較すれば出会いの喜びが別れの痛みになったりすることを分からなければいけないし、別れの痛みがもう一つの出会いにつながることを分からなければいけません。1株の美しい花を見る時、みすぼらしく花が枯れる姿を連想できなければなりません。これが仏教的な般若で秘密の予知の光、超越的な智恵を使って私たちは胸の中で呼吸をしています。般若を全身で理解して生活の中で実現しようとする努力が悟りの近道になるのです。

三毒

三毒(さんどく)とは仏教において最も根本的な三つの煩悩を指し、人間の苦しみの根源とされています。
三毒を構成する煩悩
1  貪(とん):はてしなくむさぼり欲張る心。
2. 瞋(しん):怒りの心。
3. 癡(痴・ち):愚かな心。

チョンソプチョンビス

總攝千臂手

【真言】 観世音菩薩(グァンセウムボサル) チョンソプチョンビス 真言(ジオン) オム タニャタ パロギジェ セバラヤ サルバドッタ オハヤミ サバハ

總攝千臂手 音声

【意味】十方の全ての一番悪い悪魔たちを追い払って敗北させる真言。この真言は人生の全ての邪魔をなくして平和になるための真言です。これは42手呪全てを絞って世界平和を願った真言です。

これで42手呪は終わります。

 

 苦しい修行が終わるということは、悟りを開くということです。私たちが悟ったら、神様と同じように明るくなって、全ての執着がなくなるのです。私たちが正しい修行で仏様、神様になれる道は、全てを正しく行うことです。

 悟っている神様が、私たちの肉体を作り、神様の国で一番素晴らしい光をつかって、私たちの魂を作ってくれました。自由で、何にも縛られなくて、優しい神様から私たちを見ると、私たちは皆子供も同然です。子供が大人へと成長するように、仏様神様になるために修行が必要なのです。全ての人は、最後には悟りを開くことになりますが、迷っていると時間がかかります。なので今では私たちのような未熟な生命たちが辛くて苦しい宿命や運命の中で一生懸命修行ができるように、また邪魔が無くなるように優しい神様は、親のような役割で私たちの背後霊となって、導いてくれているのです。

 

 

 

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