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●暦の始まり(1)(2009.1.4)

▽天国素晴らしい光、自然の風、神様の口から吹いた息

 昔々、自然の神様は自分に似せて火、水、土、風で人間の男と女をつくりました。身体の硬い部分は土で出来ていて、温かい部分は火でつくりました。身体の柔らかい部分や身体中を流れる血や体液、排泄物は水でつくりました。最後に神様は天国で一番素晴らしい光をとってきて、その中に自然の風を混ぜ、手の平に乗せて口で息を強く、ゆっくりと、ふぅーっと吹きかけました。その息は人間の口から体の中へ入り、光は魂に、神様の息は心となり、そのことによって目、鼻、口、耳、皮膚、性器、おへその穴すべてに空気の流れができ、それが私たちの触感覚となり、触れることによって感じたり、わかったりできるようになりました。魂は全身に行き渡ることができました。そのことで風が私たちの体の中でも自然の風として流れることができて、大きな力となり、私たち人間の身体が自然に行動できるようになりました。私たちの魂は天国の素晴らしい光と自然の空気である風を混ぜて作られているのです。

 このように神様は私たちの心と魂と身体とを作ったのですが、身体は目に見えますが心と魂は見えません。それと空気で出来た風も目には見えません。目に見えないのは理由があります。それは天国の秘密だからです。親でも自分が産んだ子供の心を読んだり理解することはできないのです。

 私たち人間の身体は100年も保たない弱い肉体です。自然から作られているので、魂が身体から抜け出てしまえば、体は自然と腐って水になって自然の水に戻り、火は火にもどり、土は大地に戻ります。風と神様の息から吹きつけられた魂は身体から抜け出たときに、空気は自然の風に戻り、あとはどこへ行くのでしょうか。息を吐いた後は吸うしかありません。神様は吹いたときと同じように、またまるで私たちの魂に「戻りなさい」と言っているかのように息を吸い込んで、神様の口から天国に魂が戻るようにしています。その口はどこにあるのかというと、人間の世界から宇宙への入り口にあります。この入り口は住所があるわけでなく、どこにでもあるのです。体から魂が抜けた場合はすぐ目の前に現れます。ただし、その入り口に入れないような生前の行いをした場合は入り口は現れず、魂はさ迷い続けます。入り口に入れた魂たちは吸い込まれてまた天国に戻っていきます。

 神様の神通力とは神様の息なのです。神様は何もかも持っています。何もかもができます。問題を解決したり、物事を一瞬にして変化させたり、良くしたり、悪くしたり、作り上げたり、壊したり、もちろん失敗することもできます。なんでもできる神様の神通力の息を神様は私たちの魂に吹きつけて魂を作り上げました。「精魂込めて作品を作る」という言葉がありますが、神様は素晴らしい力と心と魂とで私たちをまるで芸術作品のように作り上げました。私たちの魂は素晴らしくも、神様の力があります。本来、この魂を持つ私たちは何でもできるように作り上げられているのです。悪いことも、良いことも、病気にも、幸せにも、大統領にも、何にでもなれる魂を持っています。私たちにおとずれる様々な幸せ、不幸、波乱万丈な出来事、病気、事故にあったり、知識、見聞がある、常にそういった体験、経験、修行を積めば積むほどに私たちの魂は磨かれて、智恵が明るくなって、広がって見ることができてきます。

 世の中がどんな理由や原因で物事が起こっているのか。何も原因がなくて起こるものは一切ありません。何にでも原因があります。前世からのカルマ、私たちの現在の行い、全てが返ってきます。それが因果応報です。その因果応報が見えない時、私たちは悩み、苦しみ、なぜこうなるのかよくわからないままの不安定な状態に居続けなければなりません。

 悟りを開くまでは練習のようなものです。魂を磨いている時、練習は修行なので、常に苦しくて辛いものです。かといって練習に負けないこと。諦めて、負けてしまえば本物の道は遠くなります。最初から振り出しに戻る事になります。

 自然の神様は自然の中に天国のすべての秘密を入れました。
 わたしたちは自然の中から学び、気付き、天国の智恵を見つけることができます。自然の中から、私たちの生きる目的を理解できます。植物、動物、風、太陽、月、星、雨、大地、雲、山、水、土地、四季、昼夜、香り、熱かったり寒かったりの温度、カラフルな色、さまざまな味、出てきたり、ひっこんだり、卵になったり、卵から生まれ出たり、さなぎになったり、さなぎから飛び出して、羽ばたいていったり、空気を吸ったり、吐いたり、風の音や牛達鳥達が鳴く声があったり、風に乗って樹木が踊ったり、季節が変わって、植物がさまざまな形に変化していったり、小さい赤ん坊として生まれて、年寄りになって病気で死んでしまったり、と私たちの身体や全ての生命が自然と連動して変化していることも、様々なたくさんのことを学ぶことができます。私たちの身体は自然そのものです。たとえば私たちが疲れたときは寝てしまいます。しかし、精神的に疲れたり、悩みが深くある場合は眠りが浅くなったり、眠れなくなったりします。その場合に睡眠薬を飲みますが、睡眠薬は昔へびの毒から作りましたし、麻酔は昔は大麻で作られ、薬は自然から元々作られていました。私たちの体のどの部分をとっても自然から作られたことがわかります。身体に不調があれば身体と同じ素材の自然のものを使えば不調を直すことができます。

 さて、肉体以外の話では、私たちの心は幻です。とてもやさしく、とっても素晴らしく、そしてとっても恐ろしいものです。変化にきりがありませんし、計算もできないし、予測もつきません。心だけは幻です。神様は悪と戦っていたので、平和を守るために悪をなくす必要がありました。そのため、私たちの心はそういった影響も受けています。

 なんでもできる神様の息が心になり、天国の素晴らしい光が魂になっているので、魂と心と神通力の役割をする風のパワーでもって、私たちは実は何でも行動を起こせるのです。世界で私たちにはやることがあります。もちろんやってはいけないことも。 神様は「人間の意味は『正しい』という意味だ」と言いました。そのことを私たちはしっかりと理解して「正しい事」だけをやっていくのです。世界皆が喜ぶことをやっていくのです。わがままをしたり、人を頼ったり、傲慢になったり、ばかになったり、ばかにしたり、人を裏切ったり、悪い事をしないと常に自分をチェックしていきます。良い事だけをやっていきます。

 成人になれば、親のせい、誰のせいにするのではなく、ひとりひとりが世の中の主人公となって、自分の責任で決めて進んでいくしかないのです。私の代わりは誰もいません。誰でも主人公となって進んで行けるのですが、悟る力も弱く、修行が弱いために、その「できる」魂に気付くことが遅れているのです。明るい道を知って、そこをただひたすら進みます。反対方向は何度も生まれ変わり、果ては地獄に行くことにもなりかねません。一人だけの自己中心的な考えではなく、みんなが幸せになれることを選んで開いていく事です。どんな職業にいる人も自分が選んで仕事をしていくのが生きる道です。執着して、縛られて、狭くなり、自分の周りだけ、自分がいつも正しいとするのは単なる傲慢です。

 様々な苦労は修行への道になります。知識は使うためにあります。ひけらかす飾り物ではありません。知識は使って、行動するためにあります。それが智恵になります。智恵を使って正しい努力を一生懸命に皆が永遠に続くことが、正しい事です。生きる道から、磨く道になっていくのはこの正しい事を常に行うことです。単に生きる道として職業を選び、専門的に突き進んで、その後良い立場であぐらをかいて傲慢になり、「○○の専門家」とひけらかしたり、「えらい先生」になっていくのは、それは自分が作った網にひっかかるような、または胃の中の蛙も同然です。これは人間というよりも獣の道で、真っ暗な狭い道です。

  私たちは毎日一日一日死に近づいています。滝は反対には流れません。時間も同じように一方的に流れていきます。死ぬときには魂だけが抜けていくだけで、身体は全て自然に還っていくのに、暗闇にずっといるわけにはいきません。

 自然の全ての生命は合わせて丸い一つ(ハンモヤン)になるのです。それが神様の力であり、ハンモヤンセ・イルハプサン(自然が全て揃って組み合わされて、足りないものがない全てが希望どおり完璧な一つ)です。

 このように、私たちの魂と心の始まりと、私たちの肉体身体が100%自然からできていることを書きました。

ジョンサンファブルス

頂上化佛手

【真言】 観世音菩薩(グァンセウムボサル) ジョンサンファブルス 真言(ジオン) オム パアラニ パアラムイェ サバハ

頂上化佛手 音声

【意味】十方位にいらっしゃるすべての仏様に急いでこれから私の人生で知識、智恵、見聞が大きくひろがって私の希望がかなうように、命が終わったら、極楽に生まれて涅槃になるための真言。これは全ての希望がかなう最上の真言です。

※42手呪は「皆が仏様、神様になる道(1)」に続きます。

 溺れた人を助けて最後に人工呼吸をして息を吹きかえらせるように、人間の生命は神様の息によってつくられた魂が活動しています。このような自然の身体と不思議な魂と心は神様が私たちを愛しているという心から生まれました。私たちが神様の子どもであるという証明です。

 身体と魂と心の成り立ちがわかったところで、つぎに暦の成り立ちを詳しく書いていきます。暦とは一見関係のないような今回のお話は、暦で実際に私たちは何を見ているかというその実態、基本、前提を先に書かなければ暦の本当の意味はいつまでたってもわからないからです。ただ占いをみて驚いたり、喜んだり、悲しんだりするような一瞬の楽しみとしての占いの使い方ではなく、その先、もっと深いところで世界を観る目を養い、世界での私たちの立場やこれからどうしていけばよいのか、悟って永遠に続く道をご自分の目で見ていただきたいので書きました。

(つづく)

 

「金剛般若波羅蜜経〜経纂・霊験録〜」

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