大光寺
 
占い・お祓い・鑑定について
大光寺 金先生について
お祈り 儀式の日
大光寺 幸せになる道
大光寺の光
大光寺の歴史
体験談
大光寺特別ページ 霊感の道
ギャラリー
kekkon
記事・メディア
修行
神秘な世界 現れた魂たち
悟りの船 八萬大蔵経
神妙章句
得度式
ブログ
アクセス
リンク
 

 

●暦の始まり(8)(八陽経)<5>(2009.1.14)

 宇宙の真理を解き明かす八陽経

 八識の話を詳しく書きましたが、お釈迦様の「天地八陽」の説明に深く関係していきます。お釈迦様の説明に戻りましょう。

「天(宇宙)は陽、地は陰。八は分別、陽ははっきりとわかるという意味だ。」
とお釈迦様は切り出しました。続いて、
「天はプラス、強い力があるということ、地(地球)はマイナスで、天(天国=宇宙)よりは弱いということです。大乗の限りない道理を明らかに知っていて、八識因縁は空で、物質的に受け取れるものは何もないことをよく分けて理解するものだ。」
 これを言い換えると、天国のやさしい神様が私たちの肉体をつくって、天国の一番素晴らしい光をとって私たちの魂をつくってくれました。神様は親のようなものです。私たちを作った張本人なので、その大乗のやさしい心により、私たち人間の物質的な肉体のことだけではなく、魂の位置や八識の関係、さらにいうと、その八識をひとつひとつ分けて考えていくと残るものは何もないということが理解されるという意味です。

 わかりやすく例えるなら、両親は生んだ子どものことを医者よりも誰よりもわかります。産んだ子供の性格もわかり、心も読めます。好きな服、料理、色など、お風呂が好きだとか、どんな友達と付き合うとか、よく寝るとか、勉強する子だとか、子供の才能もわかります。生んで育てたのでよくわかることなのです。子供が遠く離れていても、子供の心を読むことができます。そのことによって子供に問題があった場合は子供を助けることができます。子供に深い愛情をたくさん注いでいる親の意味と同じです。


「そして、八識は時間となり、陽明(天国、宇宙の心)は種となって、時間と種が組み合わさって、力を合わせてこの経典が作られたので、これを八陽経という。

 八は八識で、六根(五感覚器官で眼耳鼻舌肌と意識)である六識とマルナ識とアルェヤ識を合わせて八識と呼ばれている。八識の根源をはっきり分別すれば、後に残るものは何もない「空」であるという。

 それなので、知る事についての二つの眼というのは天国の明るい光で、光明天である。明るい太陽のような光明天は日月光明世尊といって、お釈迦様の六道をはっきり透視できる明るい眼だ。

 二つの耳は声聞天で、声聞天は無量声如来といって、その意味は(お釈迦様は)六道の全ての音をはっきりときりがないほど聞こえる耳の意味だ。

 二つの鼻の穴は仏香天といって、仏香天は六道の香りの全てをかぐ鼻の意味だ。口の中の舌は法味天といって、法味天には法喜如来がいて、説法のきりがない味を出すことができる。(例えばお釈迦様のその味のある説法を聞くと、私たちは全ての悩みが解決し、苦労がなくなり、すっきりとして、希望が持て、明るくなる、そのような透視の説法のことです。 )

 身体は盧舎那天であり、盧舎那天の中には穏やかな姿の成就盧舎那仏と素敵な姿の盧舎那鏡像と素晴らしいオーラを持っている明るい盧舎那光明仏がいる。この仏様たちは六道の中、天国の説法天にいらっしゃって、六道の全てを化身して、苦しい人々を支え、導いてくれる3人の仏様の姿なのだ。

 心は穏やかな法界天であって、心はいろいろな説法を作り出し、いろいろな智恵が集まった場所であり、まるで製造工場のようでなんでも作り出す。その中には、空王如来という空の仏様がいる。
 その心の中で、気持ちは無分別天なので、無分別天の中には不動如来大光明仏様がいる。

 マルナ識天には4つの煩悩(無知、執着、驕慢、愛着)を作り出していて、アルェヤ識天は素直で、善も悪も判断しないので、私たち人間の行い(行動、業、情報)全てを記録して次の世に生まれ変わる時に何度もその記録を持ってくる役目をし、そこではお釈迦様の説法を聞けばすぐに悟りを開いてしまうほど素直である。アルェヤ識で書き込まれたデータを基に新しい生命と心がつくられ、マルナ識が新しいその心にまた入り込んでいく。輪廻の間はその繰り返しになる。

 マルナ識天では宿命が決まり、生まれる時についての阿那含経と死ぬ時についての大般涅槃経の中で、このことが演出されている。アルェヤ識天で記録をしていることは大智度論経が書き表しており、新しい生命に生まれ変わって肉体を持っていくことが瑜伽論経に書かれている。

 男よ、仏と説法は同じであるし、心と身体は同じであり、合わせると一つになる。大通智勝如来なのだ。それは宇宙、天国、森羅万象、地球、太陽、全ての生命、自然、植物、月、風、雨、土、水、これら全てが合わさってひとつになったという意味だ。イルラプサ(丸く一つになること)であり、欠けたものが全くない完璧なものであり、その全てのエネルギーパワーを持った神通力がある大通智勝如来のことである。

 そしてお釈迦様がこの経典について話し終わるその時に、全ての空と大地にある物が6つに分かれて大震動をおこし、明るい光が空と大地の果てしなく広いところまで全てにきりがないくらいに照らし出し、誰も何も一言も話すことができませんでした。そして全ての暗いところが眩いばかりに明るくなり、全てのさまざまな地獄の世界が一瞬にしてなくなり、あらゆる罪人達のほとんどの苦痛が止まりました。

 その時に、大衆の中から8万8千もの菩薩様が一斉に悟りを開きました。その号名は空王如来応正等覚といい、劫名は離垢といい、その国の号名は無辺世界といって、そこの国民は全て菩薩の六波羅蜜を行い、私もあなたも関係なく、みんなが全ての煩悩がなくなり、これ以上良くも悪くもならない、一番穏やかな、生まれ変わりもない世界に止まる資格を得ました。これ以上はもう何もない、最高の等正覚を得ることになりました。

集会歌

※楽譜をクリックすると別ウィンドウで開きます。

 

【意味】集会歌
1. 私たちは神聖なお堂で皆が集まって、大慈悲、大光明が満ち溢れる場所で、高潔なお釈迦様の真理を習い、限りなく悟りを開いて、生死をなくして、きりがない人々を支えて導くために神々しい仏様の前にみんなが集まりました。

2.私たちは仏様の前に皆が集まって、大きな力、大菩薩様の明るい笑顔のある場所で、素晴らしい菩薩様のパワーを信じて限りない仏道で悟りを開いて苦海をなくして限りない人々を導くために尊い仏様の場所にみんなが集まりました。

 さらに6万6千の比丘と比丘尼、優婆塞、優婆夷は智恵が明るくこれ以上ないくらいに開き、悟りを開いて、仏様の中に入りました。

 限りない天龍、夜叉、乾達婆、阿修羅、カルラ、緊那羅、マフラガ、人非人等の愚かな神様たちは心の眼が明るく開いて、苦しくて弱い人を助ける優しい神様になりました。それが菩薩の意味です。

 「男よ、そして、どんな人でも出世をしてその新しい地位に就くときは(例えば政治家が総理大臣になって、新しい住居、首相官邸に引越して住むとき)このお経を3回唱えれば大きく運が開いて、希望通りに進み、やさしい神様たちがサポートして、良いことだけをたくさんおこしてくれるだろう。それで、寿命が長くなる。それで、福がたくさんついて豊になる。

 男よ、このお経を1回だけ唱えたとしたら、全ての経典を唱えた事と同じになる。この経典を写経すれば、全ての経典を写経することと同じことなので、その功徳は限りなく、きりがない。宇宙空間と同じで終わりがないので、悟りを開くことになる。

 また、無変身菩薩摩訶薩よ、例えば、ある人間が正しい法を信じられないで、間違ったことだけを考えて、突然この経典の話を聞いたとしよう。そしてすぐにこの経典が正しい真理の説法ではないと誹謗中傷したとすると、この人間は世の中で一番重い病気にかかって、肉体から汚い膿を出し、悪臭がして、人々に嫌われて寂しくなり、命が終わる日には地獄の中でも一番悪い人間が行く、怖くて苦しい阿鼻無間地獄に落ちて、上からの炎が下へ吹き付けられ、下にある炎は上へ吹き上げられながら、鉄の槍で身体全身を刺され、その後には熱で溶かされた熱い鉄を口の中に流し込まれ、骨と神経が溶け、24時間の間に一万回も死んでは生まれる繰り返しとなり、この苦痛は休みなく繰り返されることになる。

 なぜならば、この経典の誹謗したことが原因になり、これと同じくらいの罪を受けているのだ。 」

そしてお釈迦様はその罪人のために歌った

この身体は自然から生まれた。
頭と手足も自然から作られた。
成長も自然に成長することになる。
年を取ることも自然に年を取ることになる。
生まれることも自然に産まれて
死ぬことも自然に死ぬことになる
背が高くなりたいけれど、なれないし、
背が小さくなりたいけれど、小さくはなれないのだ
苦労と楽しみは自分自身がもらうことになり、
成功するしないもあなた次第
成功して、功徳をしたいなら
この八陽経の真理を信じて一生懸命唱えて、
その後得度して、
真理のこの経典を大切に敬い、
未来永劫、世界にこの説法を伝えなさい

 お釈迦様はこの経典の話を全て終わるときには大衆は今まで見たことも聞いたこともない喜びを得て、心が明るくなり、気持ちがすっきりと晴れやかになり、楽しくて踊りあがり、森羅万象にある全ての物事で永遠に続くような本物は一切ないことを理解し、仏様に帰依して、宇宙森羅万象の中にある全てのことを透視することができ、悟りを開いたので、執着が一切消えてしまい、これ以上の感覚がなくなり、全て理解したので、これ以上の三毒の煩悩も、迷って揺れることも全て消えてしまった。そして涅槃の喜び(宇宙とひとつ)になりました。

(八陽経は終わり)

 大光寺でのお祈りは八陽経を最も中心にしております。お祈りの中で多いときは1日12回少なくとも3回読み上げています。長い年月、現在までに100万回は読んでいます。そのために私(金正印彗星)は八陽経の八人の神様と出会い、通じて、苦しい人々の厄祓い悪霊祓いとその人々を支える大きなパワーをもらうことになりました。八陽経を理解したからこそ、お釈迦様と出会い、このパワーを八人の神様から頂くことができたのです。誰もが理解できる八陽経ですが、初めのうちは理解できずともあきらめずに何度も一生懸命唱えれば自然にわかってきます。一緒に頑張りましょう。

次は 「暦の始まり(7)」

< 前のページへ

 

 

次は 「観世音菩薩普門品(1)〜観音経〜」

次のページへ >


 
ページの一番上へ
Copyright © Daikouji. All Rights Reserved.
大光寺