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●光の誕生(1)(2009.2.3)

 私は韓国の全羅南道で生まれました。近くには霊山川(よんさんがん)という川があり、そこを通って済州島や日本、中国へと船が出て貿易をしていました。

 母が37歳の時に私は生まれ、8番目の子供でした。母はもともと学校の先生で、結婚をして畑仕事を毎日していました。畑はいくつもあって、毎日がとても忙しく、たくさんの農作業がありました。
 畑の一つには「鳳凰の頭」という意味を持つ名前の土地があり、そのすぐ近くには山があり、裏には大きな川、霊山川が流れているよい土地だったのでそのような名前がつきました。
 近くの山は、太山奉(テサンボン)という可愛らしい300m程度の山でした。太山奉には不思議な力があって、天国の神様の力が強くあるとされていました。そういうわけで、村の人たち皆は太山奉でお祈りをあげていました。山の頂上にはお祈りを捧げるためのお堂が建っていました。

 村には500世帯のうちがありました。春はその太山奉で、海の神様にお祈りを捧げて、一年で村の皆が夢中に元気に穏やかに暮らせるように、畑が豊作になるように、漁が無事故で豊漁になるように、「竜神祭り」を行いました。
 その他に、結婚、子供の縁結びのお祈り、難病を治すお祈り、村の子供たちが迷わないように、仕事の邪魔がなく、順調に繁盛するためのお祈りをする場所でした。秋になると、観音様に豊作のお礼をして、またお祈りを捧げました。
 中学生や高校生の修学旅行のスポットとして有名でした。山が小さくても、景色がよいと評判だったのです。

 そんなある日、母が夢の中で、「鳳凰の頭」の畑で仕事をしていました。その畑は神様にお供えする用の稲を植えていたので、母は夢の中でそこの稲刈りをしていました。すると、畑のすぐ前の太山奉から白い袈裟を着た尼僧さんが降りてきて、托鉢をしにやってきました。母は家からもってきたおやつのさつまいもを尼僧さんにあげました。尼僧さんはお経をとなえて、「カムサハムニダ(ありがとう)、このさつまいもが福の種となって、元気で幸せになってください」と言って元来た道を戻って行きました。母はその尼僧を不思議に思いました。なぜなら、山の上の小さいお堂には誰も人が住んではいなかったので、どこから来たのだろうと、背中をずっと見ていると、山の途中の道で尼僧は消えてしまったのです。

 そして、その不思議な夢のすぐ後に母は子供を授かりました。その年の正月には女の子を産んでいたので、まさかまた子供が生まれるとは誰も思いもしませんでした。けれども正月に生まれ、その同じ年の12月に次の女の子が無事に生まれたのでした。それが私です。それまで母は腰が痛かったのですが、私が生まれると同時に急にその腰痛は治りました。12月13日に生まれたのですが、お祖父さんが一番喜んでくれました。

 1歳ちょっとから私の記憶はあります。1歳の時に右手で母のおっぱいを触っていたことも覚えています。言葉を覚え始めた1,2歳くらいの頃から、祖母に背負われて、人がたくさん集まる場所に行くと、妊婦を見れば、「男だ」「女だ」と性別を言い当て、ある人を見れば「○○の病気」だとか、「早く死んでしまう」だとか、さまざまな言葉を話すようになりました。周囲の人はとても驚き、祖母もみんながびっくりしました。
 さらにその言葉はなぜか命令口調で「○○の病気に気をつけなさい」とか「結婚するとよい」とか「子供ができたよ」などと背負われた背中から指を指して言うので、皆は面白く、気になって、自分の寿命などを小さい私に聞いてくるようになりました。つまり、言葉を覚え始めたころから、透視をしていたのです。

 

 母の畑にはまめ、ごま、さつまいも、たばこの畑があり、ある畑の同じ土地の一角に「金剛寺」というちいさなお寺がありました。ここには住職がひとりでおり、鍼灸師もやっていました。母は腰が痛くて、膝が弱かったのもあって、よくこのお寺に治療しに通っていました。私が生まれた後は、腰は良くなったのですが、足や膝のために私をおぶって、そのお寺に行きました。
 すると住職は「この子は普通の子ではないから、私にください」と言いました。「この子は、仏様の子だ」とも言っていました。このお寺にはお化けが出ると言われていて、誰も行きたがらず、病気で苦しんでいる人たちだけが行っていました。けれども私はとてもこのお寺のことが気になっていて、母の畑が近くだったこともあり、よくこのお寺に預けられたり、遊びに行ったりしました。秋と冬には、浮遊霊が火の玉の姿でよく飛んでいました。お寺には小さな観音様がいるので、私は観音様に会いに行きました。そこで、掃除を手伝ったり、お寺のお水がさわやかで、おいしかったので、それをよくもらって飲みました。

お坊さんがしっかりと皆を守っている真言

浄三業真言
オム サバババ スダサルバ タルマ サバババ スドハム(3回繰返)

【意味】身体と口と心で作った罪を反省してきれいに磨いてなくす真言

開壇真言
オム バウラ ナロ タガタヤ サムマヤ パラベ サヤ フム(3回繰返)

【意味】お釈迦様の神々しい説法を開く真言

建壇真言
オム ナンダナンダ ナジナジ ナンダバリ サバハ(3回繰返)

【意味】家に仏壇をつくって、祀る真言。

 お寺のことが気になってしょうがなく、毎日、夜でも昼でもお寺に行くようになり、そのうちお寺で透視したり、家で透視したりしていました。何歳で死ぬとか、何の病気で死ぬか、子供ができる、できない、どうすればお金持ちになるか、生活がよくなるか、今年の天気は雨が降る、ふらないなどと透視して、たずねてくる村の人たちに教えていました。気象については、春夏秋冬のそれぞれの草や土地の匂いと風を肌で感じてわかったことを村人に話しました。
 悪祓いの方法も教えたり、頭痛がするという場所をとんとん叩いたりして、治療をしました。喜んだ村の人たちは小さい子供なのに、お酒をお布施してくれました。人々は
「この子は小さいけれど、えらい仏様がついているからちゃんと供養しなくては」といってマッコリなどをくれました。
 ここから透視と修行の道がはじまったといってもよいです。生まれてまもなく4、5歳の頃のことでした。

 母は私が生まれる前に母の自宅にあるお堂でたくさんお祈りをしてくれました。父は家でお経をあげてくれていました。
 私の次に生まれた子はあまりおっぱいを飲みませんでした。母を助けるためにも私は母のあふれた母乳を飲んでいました。さらにその子の次に生まれた子は100日で亡くなってしまい、67年と69年生まれの妹たちもあまりおっぱいを飲まないので、結局私は9歳までお母さんのおっぱいを飲んでいたことになります。母乳をずっと飲んでいたこともあり、身体は子供の割には大きくて、丈夫で、強く育ちました。
 小学校は面白くなくてすぐやめました。先生が何を言うかすぐその先がわかったし、大きな声で笑うし、背が大きくて目立っていました。それなので、男の子たちがグループになってよってたかっていじめを始め、怪我までしました。くやしくて、普通の子供たちの世界とは縁がないと悟り、小学校をやめることにしました。

(つづく)

 

 

 

 

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