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●光の誕生(3)(2009.2.5)

 天国をめぐる夢はまだ続き、その夢の中で帝釈天を訪れた時に、私はイエス・キリストと出会ったのです。観音様が連れて行ってくれました。それはお城の中だったのですが、その中へ天人たちがたくさん集まっていて、ミサをしていました。観音様と私はそのミサの様子をしっかりと始めから終わりまで耳を傾け、見ていました。このミサは天国の国々の天人たちを賛嘆するものでした。ミサの最後には国々の天人たち皆が火のともったロウソクを持って、キリストを賛嘆しながら、座っているキリストの前に一本ずつロウソクを立てて帰って行きました。
 ミサが終わると、観音様がキリストに私を紹介してくれました。キリストは私に「よく来たね」とほめて背中を叩いてくれて、さらに私においしい天国のワインをくれました。そして、上等なテーブルを前にして、キリストと私はワイングラスをちんっと乾杯しました。お釈迦様は黄色い服、観音様は白い服だったのですが、キリストは綿と雲でできたようなふわふわした真っ白い光の服装の上に赤いきれいなマントを胸の上あたりで結んで羽織っていました。ワインを飲み終わった後で、キリストは私に「天国の国をちゃんと回って、さまざまな修行をしっかりして、明るく磨きなさい」と言ってくれました。そして「頑張れよ、また会おう」とも言ってくれたのです。初めてキリストと出会ったのですが、まるで父親の代わりに責任感が強くあり、家を守って、しっかりして、やさしい一番上のお兄さんに会ったようにとてもなつかしく、安心するような心でした。

 宇宙の中でそれぞれの国が役割を持って各国が一生懸命仕事をしています。とにかく天国ではさまざまな宇宙の森羅万象の全てをおこしていました。それをみていた私は、一緒になって仕事をし、農作業をし、製造業もして、掃除をし、透視や苦しい人々を導いて、人々の悩みを聞き、解決する勉強をし、お祈りについても習い、戒律を守り、座禅をし、智慧を磨いて、お経をあげ、髪まで剃ってもらいました。

 天国を四天王のいる国からずっと上がっていくと、最後には有頂天(非想非非想天)と呼ばれるところに辿り着きました。天国は人間の世界から上がれば上がるほど住んでいる人たちが静かになっていきました。国も人も明るく、大きくなっていったのです。周りのことに執着しません。一人で何でもできるので、合わせる必要がありません。
 このように天国を上がれば上がるほど、智慧が明るくなり、神通力と世界を透視するパワーも強くなり、心から思えばその通りに進めることができて、悩みや苦痛は全くありませんでした。なぜならば、良い事をたくさんしたので、魂の力が強くなったからです。どんどん上にあがるほど地球から離れることになり、魂で感じる感覚はなくなっていきました。アルェヤ識の生まれ変わってできたデータもどんどんなくなって、薄まっていきました。記憶も捨てられていったのです。三十三千大千世界の一番上にある有頂天まで魂があがったら、自然に全てが無になり、丸く、空っぽになります。つまり、データが全てなくなり、記憶は一切ない状態で、素晴らしい光の世界である強い宇宙とひとつになって、これ以上何もなくなってしまうのです。心も人間も天人たちも神様も菩薩様も仏様も一切ありません。終わりなのです。姿はもちろん心も魂も一切がそこでなくなるのです。
 私たちの目的はここまで上ることなのです。お釈迦様もそこに到達して、全てがなくなり、宇宙と一つになってしまったのです。南無阿弥陀仏、お釈迦様、薬師如来様、燃燈佛、毘盧遮那佛、円満法身盧舎那佛が過去にここまで上って宇宙と一つになって涅槃になりました。ここは涅槃の世界で、静かに何もないのです。この世界は有頂天よりも下の国にいるみんながおこした世界なのです。
 私たちがこの有頂天までに上っていけるのは限りなく時間がかかりますが、最終的には誰でもここに上がっていくことになるのです。もともと私たちの魂はこの有頂天(宇宙)の素晴らしい光を素材として作られた魂なので、魂の親はこの有頂天であり、ここまで辿り着く力を私たちはもともと備えています。魂が軽くなるように正しい法の行いをしていれば、魂を磨くことになり、早く上がっていくことができます。

 そしてその後、観音様と一緒にお釈迦様のお城にようやく帰って来ました。お釈迦様は有頂天で宇宙と一つになった後、兜率天(とそつてん)に化身した姿でいたのです。お釈迦様は菩薩様、神様、天人たちに荘厳な説法し、教えて導くために天国のどこへでも一瞬にして1100億もの化身をしていらっしゃいました。

 天国の全ての建物は上も下も綿のような真っ白の光の雲でできていました。ふーっと吹くと消えてしまうような雲でした。建物の装飾は宝石をちりばめたような様々なすばらしい明るくて限りない色で飾られていました。全ての美しく、きれいですばらしいものたちは天国に昇っていってしまったので、人間の宝石よりももっと天国の飾りは光を強く、濃く放っていて、すばらしさは比べ物にならないほどでした。見た目はとてもすばらしいのですが、近寄ってみると全て手で掴むことはできませんでした。これは欲一つなく、功徳の心で、優しい仏様、菩薩様、神様、天人たちの心から作られた光なのでした。魂は軽いので、建物が重くなる必要がないのです。こんなに世界が軽いのは、全ての執着や欲をなくした、磨かれた魂たちの世界だからなのだということがわかりました。

 そして、一番不思議だったのは、観音様の龍がどこにでも行ってしまうことでした。どうやって進んで行くのかというと、龍は飛ぶ事ができ、進むときにはあらゆる建物の壁や物体に龍が進むための穴があいて、龍が通り過ぎるとその穴がまたふさがるという具合なのでした。なので、自由自在に上下左右天国のどこへでもそのまま飛んで行くことができたのです。
「なぜ、そのようなことができるのですか?」と私が質問すると、観音様は
「六道の世界ではここに来たという痕跡がないのです」「天国にいらっしゃる仏様、菩薩様、神様は執着がないから、心を縛らないのです。執着がないからこそ天国に上がってきているのです。人間には執着があるので、これは建物だとか、壁だとか思って縛られてしまうのです。心がそうつくって自由に通り抜けることができないのです。人間たちはまだ『これは私のものだ』『これはできる、できない』と決め付けてしまっているだけなのです。本当は何にもないものを、または痕跡がないものを『ある』と信じているだけなのです」「それは欲張って、しがみつこうとする心なのです」「天国ではそのような重い心、縛られる心が一切ないのです」と言われました。その時私はよくよくわかったのです。
 たとえ龍が飛んで行ったとしても、私が走って行っても、私たちがどこで、何をして生きたとしても「その痕跡」はないのです。行ったり来たりしても全ての痕跡がないということなのです。私はその龍が行ったり来たりしているのを間近に見てそのことを悟ったのです。
 「これは私のものだ」と何でもかんでも欲張って持っていたとしても、それはいつまでも続きません。自然にいつかは別れる日が来るし、残るものはひとつもないのです。私が死んでしまえば、「これが私のものだ」と言えるものは実際にはひとつもないのです。長く持っているか、すぐに手放してしまうことになるかは時間の問題であって、永遠に続くことはありません。「私のもの」という妄想は単に執着であるということです。龍が通り過ぎてしまえば、龍が通ったという痕跡や証拠がないのと同じで、時間が過ぎてしまえば、私の生きた痕跡はないのです。交通事故の場合だとわかりやすいかもしれません。傷が治ってから、ここで交通事故があったと言っても誰も信じてくれないのです。

 それから、お釈迦様は私に向かって、
「あなたは人間の世界で300年修行してもできない修行をこの1週間でして、神通力を身に付けたんですよ」と言いました。
「これからは、いつでも仏様や観音様に会うことができるし、思い出して深く望んだらいつでも天国へ昇って来てまた会うことができるんだよ」といって、髪を剃ってくれました。そして人間の世界に戻りなさいと言われました。

 お釈迦様が虹の色の絨毯を私の家の方角に向かって投げると、それが階段となって家の庭までの道をつくりました。その絨毯の階段を下りてきて、家に着くと、私は1週間ぶりに眼を覚ましました。熱も下がり、目もすっきりし、耳もよく聞こえるようになりました。

 

 それからは、ほぼ毎日、祖母に手を引かれてお寺に行ってそこで遊びながら、お寺に来る人の質問に答えたりしていました。身体は3、4歳くらいの小さな子供でしたが、魂の年齢は300歳くらいだったので、神通力で理解する力を強く持っていました。他の子供たちがするような遊びは一切せず、7,80歳のお年寄りの話を聞いて、目をぴかぴかさせて、しっかり答えていたのです。正しい事と正しくない事がすぐにわかったので、親に迷惑をかけることはありませんでした。服も全て姉達のおさがりで、買ってもらったり、私からねだったりすることはありませんでした。手もかからず、お金もかからず、迷惑をかけずに生活していました。
小さいのに、赤飯を炊いたり、小豆汁やさまざまなお餅を作るのがとても上手でした。夜寝ないでお餅を作ることもありました。習った事もないのに、一度見たらすぐに上手に料理をしてしまうのでした。
 また、父も透視をしていたので、その横に座って少し口をはさんだり、父が不在の時は代わりに透視をしたりもしました。それから母の畑を手伝ったりもしました。それなので身体はどんどん元気になって、子供の割には、肉体的にもとても強くなりました。

 学校に通い始めるくらいの年齢になった時、私は母に、「お母さん、学校には絶対に行かないよ」と言っていました。勉強をする兄弟が多かったので母がお金の心配をしなくてすむように、私は母の仕事の手伝いをしようと決めていたのです。けれども友達皆が学校に行く準備をしていたので、思い直して、小さいながらも3キロも離れた学校に一人だけで登録をしに歩いて行きました。一人で、学校に登録をしに行ったので、親はさぞかしびっくりしたでしょう。
 学校に通い始めると、私はお寺でもらった服を着ているし、背も大きいし、声も太い声だったので、「あの子変だ。子供じゃない」と言われて、いじめにあいました。ある時には足をひっかけられて、転ばされた事がありました。転んだ先に机の釘が飛び出ていてそこに左の膝がぶつかって、肉が大きくえぐれ、骨が見えるほどの大怪我をしました。釘からのばい菌も入って、化膿したために足が三倍ほど腫れて、全治3ヶ月かかり、しばらくは歩けないほどでした。怪我のため3ヶ月も学校に行けず、治療をしていたのに、怪我をさせた子は一切謝りに来る事もしなかったので、もう学校には縁がないと考えました。
  元々学校に行くつもりもなかったところ、少し無理をして行ったので、このような邪魔が入ってきたのかもしれないとも思いましたし、学校の先生の教えもすぐに理解することができて、楽しくありませんでした。それなので、私は学校の先生に学校へはもう行かないことを告げました。母が学校に行ってかけあってくれたのですが、私が絶対に行かないと決めたことなので、結局学校を小学3年生で辞めました。
 そして、学校を辞めた後、お姉さんたちの本を読んだりして、一人で勉強しました。余談ですがその後ソウルへ行って勉強をして、18歳で大学を受ける資格試験に通り、お坊さんのための大学試験に一発で合格することになりました。そこでお坊さんとお寺の住職になる資格を得ることになります。
 一人で家で勉強を続け、また、母の手伝いをしたり、料理をしたり、弟の世話をしたりしていました。その時も金剛寺にほぼ毎日通って、掃除をしたり、透視をしたりしていました。6歳からは既に本格的な料理を家族やお寺のために作っていました。

 

 その頃、3歳からずっと毎晩、眠りにつくと必ずといっていいほど夢を見ました。夢の中では観音様や観音様の童子が龍に乗って迎えに来ました。お月様が明るく照らす夜には、必ず観音様が降りてきて、私を呼ぶのでした。
 現れた観音様の姿はとても美しく、肌が真っ白で、赤い尼僧が着る素晴らしい天の袈裟(けさ)を身にまとっていました。観音様がうちの庭に現れると、天からさまざまな曼陀羅の赤い花びらがたくさん落ちてきて、観音様を照らし出しました。

 それで、観音様と一緒に天国へ上がって、いろんなことをしました。お釈迦様のもとで、掃除もするし、色んな勉強をして、人間の世界での倫理、道徳も覚えました。観音様が全部教えてくれるのです。ものを作ったりもしました。世界がどのように成り立って、自然がどのように動いて天国と通じているのかも教わりました。

○魂、神通力、奇跡

 天国で、何億万年も行ったり来たりしたとしても、それはまるで昨日や今日のような感じで、魂は古くなったり、とても昔のものだという感じもなく、魂自体は変形しないということもわかりました。魂はいつも同じで考えも変わりませんでした。その変わらない魂は誰でもが持っているものなのです。肉体がいくら年をとっても、魂は変化せず、年をとるということはありませんでした。とても昔のことだと感じるのは幻想であって、魂についてはどんな世の中の波乱万丈があっても何でもないことなのです。魂を捕まえることもできないし、殺すこともできません。魂は天国の光だから、絶対であって、魂自体は縛られることがありません。魂だけなら軽くて飛ぶことができ、六道を自由に気軽に回ることができます。その飛び回ることのできる力が明るい智慧と神通力なのです。

小さい小尚さんが白龍に乗って天国に昇り、お釈迦様に会いにいきます。

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准提真言
ナム サダナム サッミャク サッモッタ クチナム タニャタ オム チャレ ジュレ ジュンジェ サバハ ハブリム (3回繰返)

【意味】 観世音菩薩様の大きな慈悲をもってサポートしてくれる観世音菩薩様の真言。この真言を唱えれば、いつも観世音菩薩様と通じて、背後霊となって、見守ってもらえます。

 魂にもともと備わっている神通力を私たちが使うには、さまざまな善いことをして、人の邪魔にならずに、心を磨くことによってその力が出て使うことができるのです。本当の本当に心の中から一生懸命願えば、魂からその神通力のパワーを引き出すことに成功します。そしてその神通力で自然に奇跡をおこすことになります。奇跡がおこれば、川は山になるし、山は川になるし、死んだ人も「あら、よく寝た」と生き返ります。今まで出来なかったことが簡単に出来て、解決してしまうのです。忘れたものも戻ってきます。
 それは神通力をおこして私と自然と天国とが通じることで、奇跡を起こしてしまうのです。天国はもともとの私たちの親だからなのです。これ以上ないくらい、強く深く激しく祈って、ただひたすら信じれば30階の建物から落ちても勇気の神通力をおこして死にません。それが天国の力で、奇跡なのです。天国の奇跡は、自分が正しい事をしているにもかかわらず、邪魔が入って、命や財産、家族を奪われようとしている時、または本当に悔しい思いをした時に、どうゆうことだと天国にこれ以上ないくらい強く祈れば、その瞬間に、自然と宇宙天国の三十三千大千世界と通じて、奇跡を誰でもおこすことができるのです。
私はそのことを天国で学んできました。般若心経の智慧も学んできましたし、「痕跡がない」ということも学んできました。

 昼は仕事の手伝い、夜は夢の中でいつも天国に行っていました。観音様が来ないときは、家の正面に龍と童子が迎えに来ていました。目が覚めてもいつも龍が見えていました。龍は今でも見ることができて、私の背中には龍が住んでいるのです。

 天国を見て回ってからは、今度は人間の世界のいろいろな国々を回りました。世界各国のトップクラスの人たちがいる場所、国会や宮殿、お城に行き、トップクラスの人たちとご飯を食べることになりました。そこで、その国々の透視をしたのです。各国の言葉がその時話せていて、「このようにするといいよ」と教えてあげているのです。国から迎えが来ない場合は、空中で3回ダイビングをすると、その国に自然に到着することができました。

(つづく)

 

 

 

 

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