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●光の誕生(7)(2009.2.10)

 夢の話を続けてきましたが、今回は現実の私が12歳の頃から何をしていたのかをお話ししていきます。

 12歳の春にそれまでずっと通っていたお寺、金剛寺で針灸師のお坊さんが寿命でなくなりました。その時にお弔いに来ていた、お坊さんの友人で、カンさんという方がいらっしゃいました。この方は70歳をちょっと越えたくらいだったのですが、仙人のような姿をしていました。この方はもともと世界遺産で有名な韓国の「海印寺(へいんさ)」でお坊さんをしていた人でした。しかし、同じお寺で僧職として縛られることを嫌がり、そこからフリーのお坊さんとなって、世界各地の山で修行をし、徳が高く、霊感を強く持っている仙人として有名でした。
 さて、その仙人が私の村に来たときに私に「金剛寺のあなたの先生はこの通り他界したけれども、あなたはこれからどうしますか。これから修行をしていくのか、ここでやめるのかどうするのでしょう?」と聞いてきました。「私から見ればあなたは世間で普通に暮らせば波乱万丈の人生となり、苦しくて短命になる。なので、修行して、苦しい人々を導きながら、サポートしていきなさい」と言い、自分の住所を書いて私にくれました。「心に決めたら、私に手紙を送ってきなさい」と言ったのです。その時期その仙人が住んでいた場所はソウルの三角山の中の貞陵(チョンルン)というところでした。そこに小さなお堂を持っていて、あちこち回るときの本拠地としていました。
 その年の秋に、私は心を決めて、手紙を書き、修行についていく事を伝えました。親は私が子供だからと大反対しましたが、私は私の道なのでこの修行に入っていくことに決めました。このとき、韓国の年齢で13歳、満だと12歳の時でした。ソウルにいってから、この仙人のもとで修行が始まりました。私はそれまで普通の学校には行っていなかったので、この仙人から世界のさまざまなことを学びました。仏教のことが中心ですが、その時に日本語、中国語、英語も少し習いました。この仙人は出家する前には学校で教員をしていたので、教えることがしっかりしていて、厳しくて、本当に上手でした。
 そういった勉強以外に私は山に行ってお祈りの修行もしました。というのも韓国にはお祈りをするための山があって、それらは霊山として有名でした。最近では「パワースポット」などと言いますが、韓国で霊山として有名なのは明山(ミョンサン)、大川(デチョン)などがありました。その場所は気が強く、お祈りをすればすぐに天国と通じることができるのです。仙人と私はその山々をめぐり、長くて半年から1年、短くて21日の間滞在し、お祈りをしていました。人も登らないような切り立った山を登り、水と少しの食べ物で何日もお祈りをしました。山の近所の村では、私たちがお祈りをしに来ていることを聞きつけ、村人達がお供えをもって透視をしてもらいに私たちのもとへ集まってくることが多くありました。
 私はそのような韓国であちこちに行く修行の旅を5年間続けていました。そうして19歳の春に大学に入る資格をとって仏教大学に入りました。そしてその年の秋に、私は仙人から独立しフリーのお坊さん、仙人をすることに決めました。2年の間、フリーのお坊さんとしての生活を続けるのですが、生活のためにお坊さん以外のいろいろなアルバイトを経験しました。けれども、その間に私にさまざまな嵐がおきるのです。それらは苦しくて辛い経験となり、楽しくありませんでした。そしてその話を聞きつけた仙人がついに迎えにきてくれて、普通の生活やアルバイトは私にはできないのだと諭しました。結局また同じ仙人のもとに戻ることにしました。これはまだ20歳頃の話でしたので、私としてもフリーで独立するのはまだ早いのだと理解しました。

 私は生まれた時から悟りを開いていたので、13歳で死んだも同然です。ほとんど学校にも行ってないのですが、仏教の勉学については限りがありません。この神妙章句を書くためにいろいろなことがありましたが、チャンスに恵まれ、心が開かれて、数々の言葉を話すことができる時期に今来ているのです。私の経験と開かれた明るい智慧と、霊感のパワーを使って、この神妙章句を書いています。さまざまな体験、経験はどれもこれもつながっていて、どれが抜けても話になりません。それらは私が全ての中心として授かったお経を組み合わせて、初めて完全な一つの世界となります。今まで書いている私の霊感、夢、さまざまな神通力、人生における波乱万丈の経験、体験、修行、お祈りは、お経を唱えることによって、最終的に宇宙とつながることになり、そのパワーにより世界全てを賛嘆して、解脱への道へと導くことになるのです。それがこの神妙章句なのです。世界の全てがこの神妙章句に入っています。この神妙章句が神秘の光の船の役割をし、いま読んでいるみなさんと一緒に力を合わせて神通力をおこし、現実の落ち込んでいる世界を明るく照らしながら、支え、導いていきます。

○無空先生との出会い、養子縁組

 満21歳の時の夏に、三角山のあるお寺で大きな法要会が開かれる事になりました。そこには法力や徳の高いお坊さんたちが韓国全国から説法をするために集まってきました。仙人もそこへ行くと言うので、私もそこに行くことにしました。その日は大切な用事があって、仙人よりも少し後に三角山を歩いてお寺に向かいました。遅くなったので、法要会が始まる前までに到着するように、急いで山の坂道を登っていました。すると、三角山の途中から、一緒に急いで歩いている人が一人いて、それが無空(ムゴン)先生でした。無空先生も同じくお寺の行事のために遅くなり、この法要会に間に合わせようと急いでいたのです。私は「どちらに行かれるのですか」と尋ねたところ、同じ法要会に行くことがわかりました。無空先生は私が何者か聞かれました。私は自分の名前と師匠の仙人の話を少しだけ紹介しました。すると、無空先生は私たちのことを既に知っていたのです。そして、私に向かって「そのようなフリーのお坊さんの生活をやめて、道場をしっかりもつのがよいのだよ」と一言おっしゃいました。そしてその後、無空先生はお寺の法要会の代表として説法をして、帰って行きました。
 法要会が終わって10日ほど経ってから、三角山にあった仙人の道場に無空先生が私に会いに登ってきたのです。無空先生は再び「十分に修行したのだから、もうこれ以上ここで修行せず、もっと別の場所で明るく修行した方がよい」と言うのです。
 無空先生はその当時仏教大学の院長先生と宗派の副管長をしていました。韓国では説法が一番上手な人としてトップクラスに入る人でした。その上、無空先生の家系は王族でした。「あなたには世の中で苦しい人々を大きくサポートして導く力が強く授かってあるから、もう少し深く修行をしたら、大した人物となり、仏教と世界を照らし出す力になるから、今までお世話になった仙人から離れて、独立するのがよい。今の仙人はあなたを育てる力を充分に果たしてしまったし、この仙人は宗派から離れたので仏教のサポートが少ない。それなので、あなたに明るい智慧やさまざまな神通力があっても、これ以上大きく開くことが難しい」と言われました。その意味はお釈迦様に守られながら、導かれていても、私には人間の現実世界での後ろ盾がない、という意味なのです。人々は目に見えることを中心に信じるので、仏教の中では後ろ盾がもっと必要だと無空先生は考え、私をかわいそうに思い、説得してくれたのです。無空先生との出会いはお釈迦様が導いて、縁を結んでくれたもののです。会う時間もない忙しい人と私はラッキーにも三角山で出会ったのです。
 そしてさらに無空先生は「私の養子に入って、小さくても自分のお寺を持ちなさい」と言うのです。無空先生は私が変に汚れておらず、傲慢な心がないというのです。勉強してトップになって、権力を持てば誰でも大抵傲慢になるのですが、私はさまざまな神通力があって、やさしい心を持っていると褒め称えてくれたのです。
 それを仙人と私の目の前で無空先生が言うので、仙人はしまいには怒り出しました。それでも仙人よりも無空先生の方が徳や法力が高く、話も説得力のある話でしたので、仙人は結局は納得して、私を無空先生のところへ行かせることにしました。
 そして、私は無空先生の養子となり、しっかり得度して、太古宗に入り、お寺の経営を学び、信者達を苦しみから救い、教え、導く事や大きな法要会を開いて、仏教の信者達が集まり、その前で説法する法を1年間教わりました。
 1年後に、私は無空先生からお釈迦様に帰依して説法をする名前として、「正印」をいただきました。この意味は間違いなく正しい事をしてこの人は仏様だという意味です。そしてお坊さんの名前として「ヘソン(慧と日の下の左が生で右が心)」をいただきました。この意味は智慧が明るく、悟りを開いた人という意味です。この私の名前に合わせて「聖徳寺」というお寺の名前もいただきました。その意味は悟りを開いて徳の高い聖人(住職)がいるお寺です。そしてお寺と住職としてのそれぞれの資格を太古宗からいただくことになりました。小さくてかわいらしいお寺を鐘路区チャンドク宮秘苑(ピウォン)のすぐ手前につくり、そこには仏教大学で勉強して修行する5人の若いお坊さんたちがサポートするためにお寺に入っていました。

大きな法要会に参加するために三角山を急いで歩いています。
精神の親と運命の出会いをします。

チャメジノン
オム サルバ モッジャモジ サダヤ サバハ(3回繰返)
チュンジェジュウィ クシンゴンドク イルニョムロ エウオミョン モドゥンセサン オリョウンイル チムノハジ モタリニ チョンサンエナ インガンセナ プチョチョロム ポッパドゥミョ イヨイウィジュ オドゥンイヌン カジャンクンボプ イルリダ
ナムチルグジブルモデジュンジェボサル(3回繰返し)

【意味】自分のカルマをきれいに失くす真言。長い間、前世でたくさんのさまざまな悪い癖や悪い事をしてきました。その罪とカルマをこの真言を唱えながら、反省し、懺悔して、きれいになくす真言。
お釈迦様の大きな功徳によって、この真言を一生懸命唱えれば、世界の全ての難しいことは受けません。天国または人間界でお釈迦様のように大きな福畑を受けながら、この龍珠を授かれば、神々しく大きな説法を授かります。
7回の前世における母親を賛嘆することになるし、さらにその7人の母親たちが守護霊となって見守ってくれます。

 そこで3年間お寺を経営して、お寺の名前、聖徳寺はどんどんと広がっていきました。その時期、私は智慧が明るく開いて、霊感のパワーが強くて、さまざまな神通力を強くおこした時期でした。普通の人から見たら、若いし、元気で、かわいらしくて、しっかりしているという評価をもらいましたし、無空先生の養子に入ったことでも仏教の信者からは高い評判を受けていました。その3年の時期は聖徳寺はうなぎのぼりに人気を増していきました。
 評判が評判を呼び、韓国の要人が押し寄せ、芸能人や政治家、経営者、作家、アーティストなどがよく訪れました。韓国ではナンバーワンのトップスタークラスの尼僧として霊感透視で有名になり、海外からでも噂を聞きつけインタビューされ、放送されことがあります。韓国のテレビ、マスコミにも取材されました。この時期は韓国のミスコリアがお寺の檀家のナンバーワンとなり、信者の管理までしてくれていました。

 韓国では尼僧は透視力が弱く、ほとんど透視自体をしませんでした。たとえ透視をする女性がいたとしても、それは取り憑かれたように話すタイプのもので、しかも年をとった女性ばかりがしていました。それなので私のように年が若くて、尼僧で透視ができる人は今までいなかったので、とても珍しく、短い時間で口コミでそれが広がって人気になったのです。

 しかし、86年秋には私は日本に来てたのです。
 86年に夢の中で、千手観音様が「前世の国、日本に行こう。お前がいる場所はそこ(韓国)ではない」と金のバケツを持ち、一緒に海を渡って日本に来た夢を見たからなのです。(「光の誕生(4)」を参照)
その次に見た夢は日本に行こうとしていた時に見た夢で、私がこれから行く国を決めるのですが、韓国の太極旗(国旗)をパスポート代わりに作っているおじさんのところで、「お前はこの国の旗じゃない、この旗の国だよ」といって取り消し、別の旗を渡されました。その旗にはきれいな桜が描かれていました。そして、私は完全に日本に来ることに決め、3年後には日本国籍に帰化することになりました。日本では新宿で「聖徳寺」としてお寺を開きました。

(つづく)

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