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●優しいお地蔵様の前世(8)(2009.2.23)

地蔵菩薩本願経 上巻

第6品 如来讃嘆品

 そしてまた普広菩薩よ、たとえば来世に男性か女性がいたとする。長い間病気で寝たきりのために、生きるか死ぬかと求めていてもついに願いは叶わないでいる。そして夢の中で悪い幽霊、または亡くなった親戚の魂たちが現れることもあるし、または険しい道で遊んだり、たくさんのお化けや鬼達、浮遊霊と一緒に遊んだりして年月が経ち、どんどん肉体が痩せることになり、寝ていても金縛りに遭い、悲しくなり、楽しくない事は全てこのカルマが邪魔をしているのだ。
 その病人のカルマに関して言えば、例えば病状の重さがよくわからないために命を捨てることも難しく、あるいは病気が治るわけではなく、男女の平凡な眼(俗眼)にはこのようなことを議論さえできないでいるのだ。ただし、もちろん仏様と菩薩様の像の前で声を高くしてこの経典を唱え、または病人が最も大切にするものか衣服、財宝、荘園、自宅を持って来て、病人の前で声を高くあげ唱えて説法をするのだ。

「私は○○がこの病気をなくすために経典と仏像の前で全ての物を布施することにします。そしてここで供養することにします。そして、お釈迦さまと菩薩の姿(仏像)をつくることにします。また、塔とお寺を築く事にします。そして灯油で蓮の花の姿のちょうちんに灯りをつけます。お寺にお布施を出します。」このように病人に3回説法してあげ、その病人が理解できるようにしたら、仮にすべての意識がばらばらになって気力が尽きている時に話をしたとしても1日、2日、3日が過ぎ7日目になるときまで、声を高くあげ、このことを話してあげ、声高くお経を読むようにすれば、この人は寿命が尽きた後でも世の中の災いと重い罪、五無間地獄でこの罪を返さなければならないのだけれども、永遠に解脱を授かって、生まれ変っている場所でいつも自分の寿命を知るようになるのだ。まして善男性、善女性が自分でこの経典を書くかまたは人に頼んで書いてもらうか、または自分で菩薩様の像をつくるか、絵を描くか、さらには人に頼んで絵を描くようにしてもらえば、その人が受ける果報は必ず大きな利益を得ることになるのだ。

 このような理由で、普広よ、たとえどのような人でもこの経典を読誦したり、または一瞬でもこのお経を讃嘆したり、またはこのお経を敬ったりする人を見たら、お前はすべからく百千種類の方便でこのような人たちとコミュニケーションして、一生懸命な心で後退しないでいれば、よくよく未来と現在での百千万億の不可思議な功徳を受けることになるのだ。
 そしてまた普広菩薩よ、たとえ来世で全ての生命たちが夢を見たり、または夜寝るときに全てのお化けがあらゆる姿に変身して悲しかったり、泣いたりして、または憂鬱な気持ちでいたり、ため息をついて嘆き、または怖がり、怖気づくような人を見たとしよう。これは全ての一生か十生、百生、千生かの過去における親や子供、兄弟姉妹、夫、妻、親戚が地獄(悪趣)から抜け出すことができなくて、苦悩を求めて福の力で取り除くという希望を持てるところがないので、この前世の肉親の魂に伝えて、その人に方便を使って、悪道から抜け出すことを願うべきだ。

 普広よ、おまえは神の力でこのような家族を行かせて、その人たちを仏様と菩薩様の仏像の前に立たせて、この上ない心で自らこのお経を読誦するかまたは人を呼んで唱えてもらうようにする。その数が3回あるいは7回唱えれば、このような悪道の眷属はこの経典を唱える声がこの回数(3、7回)を終えた時に当然に解脱をして、夢の中でも永遠に二度と見ることはないのだ。

 そしてまた、普広よ、たとえ来世に全ての下賤の人々、または男の下賤か女の下賤が、さらにはいろいろな不自由な人がいたとする。その人たちが前世のカルマを悟り、知ってからすべからく懺悔しようという人がこの上ない心で地蔵菩薩の仏像を礼拝して1週間菩薩の名前を一生懸命読みながら、一万回を満たすようになればこのような人はこの報いをすべて受ける後で千万回を生まれ変ってもいつも尊い姿で生まれ変り、次は三悪道の苦痛を受けることはないのだ。
そしてまた、普広よ、たとえ、来世の中で閻浮提の中で刹利バラモンか長者、居士かの一切の人々とこの世界の人間たちに新しく生まれる者があり、それは男か女かが7日間早くこの不可思議なお経を読誦して、菩薩の名前をこの新しく生まれた子供、男か女かの前世の災いの報いがふいに解脱をして、安楽に育てやすく、寿命がもっと長くなって、この福を受けて生まれた者はもっと安楽になり、寿命が伸びるべきことになるのだ。
そして、また普広よ、たとえば来世の生命は月ごとに
チョハルッナル(1日)
チョパリルナル(8日)
ヨルナホッナル(14日)
ポルン(15日)
ヨロドゥレッナル(18日)
スムサホッナル(23日)
スムナホッナル(24日)
スムヨドゥレッナル(28日)
スムアフレッナル(29日)
クムムナル(30日)など
この全ての日に全ての罪を集め、その軽重を定める事になるのだ。南閻浮提で生命が続いて、止まり、動き、考える事は罪でないことがないのだ、そして罪にならないことがなく、ましてどのように、心のままに決めて、生物を殺し、泥棒をし、不倫・浮気をして、暴言、妄想の言葉、根拠のない噂をする百千種類の罪をなくすことができるのだろうか、できないのだ。

 たとえば、きちんとこの十日間の日にお釈迦様と菩薩様と全ての神様の像の前に立って、このお経を1回唱えれば、東西南北の百由旬(約110km〜150km)の中で全ての災難を失くす事になり、当然次には家にいる大人や子供が現在と未来の百千世の中で永遠に悪趣(地獄)を失くす事になる。きちんと10日ごとにこの経典を1回ずつ完全に唱えるようになれば現世この家での全ての横病(さまざまな災い・病気)がなくなり、衣食が豊かになるのだ。

 このような理由なので、普広よ、地蔵菩薩はこのような話では表現することができない百千満億もの大威信力で利益になる活動をすることがわかっているのだ。
 閻浮提の生命はこの大士(地蔵菩薩)に大きな因縁があるので、このようなさまざま生命たちが菩薩の名前を聞くか、菩薩の姿を見るかこの経典の三字、五字かあるいは一言一句を聞いた者は現世には特別に神秘の安楽を授かることになり、未来の世界でも百千万回の生をいつも素晴らしく、健康な姿を授り、高貴な家に生まれることになるのだ。」

 

 その時に普広菩薩がお釈迦様の地蔵菩薩を称えて讃嘆(稱揚讃嘆)する言葉を聞いて胡跪(こき。右膝を地につけ左膝を立ててひざまずく)して手を合わせ、またお釈迦様に申し上げました。

「世尊様よ、私はずっと前からこの大士のこのような不可思議な神力と大きな願う力があることを知っていたのですが、来世の生命のために利益を教えてあげようとしたので、如来様にお尋ねします。
ひとえに願わくは、教えていただきたく思います。世尊様よ、この経典の名前はなんといって、私がどのように人々に広めてあげればよいでしょうか。」

お釈迦様は普広菩薩に言われました。
「この経典の名前は3つあるのだが、ひとつの名前は地蔵本願という。
さらにもうひとつの名前は地蔵本行という。
もうひとつは地蔵本誓力経というのだ。この菩薩が久遠劫から来ながら大切な誓いをたてて、生命たちの利益になるようなことをずっとしてきたのだ。
そのために、お前達はこの願いである希望を世界に広めなさい」
普広菩薩は聞き終えて、よく理解し、手を合わせて敬って、拝んで後ろに下がりました。

 

利益存亡品
第7

その時に地蔵菩薩摩訶薩はお釈迦様に申し上げました。
「世尊様よ、私が観たところ、この閻浮提の生命が足を動かし、考える行動こそが罪にならないことがないのですが、たとえ善い利益に恵まれたとしても最初に考えた心が揺れて気分がのらず後退し、悪い縁と結ばれるようになれば、一瞬一瞬で罪が増えるようになります。 

私たちは悪い事を毛一本くらいの小さなことだとして、やってしまえばそれが習慣となって命が終わる日まで悪い事をずっと続けてやってしまうのです。一度習慣になれば、抜けるのが難しくなります。そこに時間をとられていては、永遠に続く幸せを得ることがどんどんと遅くなるばかりです。悪い習慣をせずに善い習慣に気を配ります。

 

チャンオムヨムブル(荘厳念仏)

クッラクダンジョンマヌォリョン
オッゴグムセクジョホゴン
ヤギンイルニョムチムミョンホ
キョンガグォンソンムリャンゴン
ナムアミダブル

【意味】
極楽堂の前に大きな満月のような南無阿弥陀仏の素晴らしい姿があり、
お月様の色は金色で南無弥陀物と共に虚空を照らしています。
人が一生懸命心から考えをしながら、南無阿弥陀仏の名前を念じて呼びます
自分の希望が南無阿弥陀仏と出会って、通じて、はっきり功徳をかなえることができます。
御先祖様供養、幸せになる道を考えるときに朝夜毎日唱えれば、人生が楽しく幸せになります。




このような大勢の人たちはどろどろの道を歩くのです。重い石を背中に背負っているのと同じで、行けば行くほど疲れ、重くなり足がどんどん深みにはまってしまうことになります。けれどもたとえ優しくて智慧が明るく判断ができるよい縁(善知識)に恵まれれば、その荷物を分けて代わりに背負ってあげるか、または全部を背負ってあげられるようになるのです。この優しい人(善知識)は大きな力があるのでお互いに助け合いながら、支え合い、誘って、相手の脚を硬くさせてあげ、もし平地に着いたら、当然、歩いてきたどろどろの悪路を反省して二度と悪路に行かないようにするのです。世尊様よ、悪に染まっていく生命は毛先くらい細いところで始まってしまうのです。ひょっとすると限りない場所まで着くことになります。しかし、この全ての人々にはこのような習慣があるので、寿命が終わる直前にに、男女の眷属がその習慣になってしまった人のために福をまいて磨くことになるのです。眷属が亡くなった人を助けるために、幡盖(障子紙に仏様菩薩様神様達のさまざまな名前を書いてあるもの)を仏像の前後横の壁に貼ったり、灯油を提灯にいれて火をつけたり、または尊経を唱えたり、または仏像とさまざまな聖像に供養をして、お釈迦様と菩薩様、辟支佛、名字の名前と法名を唱えながらなくなった人の魂に聞こえるようにします。魂に残っているこのすべての人たちが作った悪業を計算して、果報を感じさせる時は、必ず悪趣に落ちることになっていたとしても、この眷属の因縁でその亡くなった人のためにこのような聖因(良いことをした理由)を磨いたのですべての罪が全て消滅します。たとえまた肉体が死んだとしてもその後49日以内に広くさまざまな善いことを眷属がすればきちんとこの全ての生命の悪趣を永遠になくして、人間界か天界に生まれ変ることができ、特別な妙楽(神々しい運命)を受けるようになり、現世の家族の利益についても限りなくなります。このような理由で私が今佛世尊(お釈迦様)と天竜八部、人非人などに対して閻浮提の人々が臨終の日、慎んで生物を殺さずに悪縁をつくらないことです。そして鬼神を敬わずにすべての鬼やおばけたち、邪道を求めないほうがよいと勧めました。

 なぜならば、この生物を殺してそのような鬼神を拝んで、法事をしたとしても髪の毛1本ほどの利益も亡くなった魂にはないのです。しかし罪の縁だけがさらに深く結び出すことと同じなのです。仮に来世かまたは現世の命に聖分(仏様の力)をいただき人間界か天国に次回生まれ変わることになっても臨終の時すべての眷属がこのような悪因をつくる縁を受けていれば、寿命が終わった人を災いや過ちを弁明することになり、善い場所に生まれることが遅くなる。まして寿命を終えた人が生きた間、少しも善い事(善根)を積む事ができず、それぞれ本業(カルマ)だけをもっても自らの悪趣に行く報いを受けることになるのです。それでもなぜわざわざ家族までもがさらにカルマをつけ加えることをするのでしょうか。

 

(つづく)

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