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●優しいお地蔵様の前世(10)(2009.2.25)

地蔵菩薩本願経 上巻

第8品 閻羅王衆讃嘆品-2

 お釈迦様は鬼王を讃嘆して、話されました。
「優しくて、善良だなぁ。お前達と閻羅天子はこのような善の男と善の女を充分に守護するようにしなさい。私はさらにまた梵王と帝釈(この2つの王はお釈迦様の背後霊)に命令してお前達を守ってサポートするようにさせよう」

この説法をされた時に会の中で一人の鬼王がいたのですが、名前を主命といいました。
そしてお釈迦様へ申し上げました。
「世尊様よ、私は本来カルマの縁で閻浮提の人々の寿命を管理して、生まれた時と死んだ時を私が全て把握して、管理しています。私の本来の願い(本願)とは、とても大きな利益を与えることです。それなのに、この生命たちは私の心を知ることができず、生死の際にすべての平安を授かる事ができないのはどういう理由でしょうか?

 これは閻浮提の人が初めて生まれ出た時、男か女かを問わず、将来生まれ出ようとする時にただひたすら善良なことをつくり、家での利益が増えるようにしたならば、土地の神様がひとりでに喜ぶことが限りありません。生まれてくる子どもと母親を守って大きな安楽を授かり、一族の利益にするのです。あるいはすでに生まれ出た後ならば、慎み、生物を殺さない方がよいのです。けれども、あらゆる新鮮な料理を持って行って産母に差し上げて、一族をたくさん集めてお酒を飲み、肉を食べながら歌を歌い、コムンゴ(弦楽器のひとつ)を弾き、縦笛を吹くことによって、子どもと母には安楽が授からないようになるのです。なぜそのようなことをするのでしょうか。これは子供が生まれる時に無数の悪鬼や魑魅、魍魎と同じくらいの雑鬼たちが生臭い血を食べたがっていたので、私はすでに家と土地の霊神に命令して子と母を守り親子で安楽になって、利益を授かるようにしました。この親子は安楽を得たので、早く福を催して、全ての土地の神様に恩返しをすることが正しい事なのに、反対に生物を殺して一族を集めて宴会をしたので、このために災いを犯して、その災いを自ら受けることになり、子と母が共に損害をうけることになります。さらにまた、閻浮提で寿命が終わる直前の人に善悪を問わずに私はその寿命が終わる人を悪道へ落ちないようにさせたいのです。けれども人間が自ら善根を磨くことによって私の力を助けることになるのにそのような人がいるのでしょうか。

 この閻浮提で善いことを行動する人が臨終する時になって、やはり百千にもなる悪毒な鬼神たちが、もし親やあらゆる一族に変身して現れたなら、亡くなった人を引っ張って、悪道に落ちるようにさせて、まして本来の悪をつくってしまう者については説明することはありません。
 世尊様よ、このように閻浮提の男か女が臨終の時を迎えたらば神識(魂)が迷って善悪を判断することができず、さらに目と耳で何も見えたり聞こえたりすることがないので、その全ての親族が当然大きな供養をし、尊い経典を唱えて、仏様と菩薩の名前を呼んでたくさん唱えなければならないのです。このような善良な因縁は亡くなった人の全ての悪道を充分に消すようにし、あらゆる邪魔と鬼神を全て退散させて消すことになります。
 世尊様よ、一切の人々が臨終する時に、もしひとりの仏様の名前やひとりの菩薩様の名前を聞けば、あるいは大乗経典のひとつの一句一偈を授かり、聞くことができれば、私がこのような人々を助け、五無間に落ちる殺生の罪さえなければ、小さな悪業によって悪道に落ちる者全てに解脱を授けることができるのです。」

お釈迦様は主命鬼王に言われました。
「お前は大きな慈悲でとても大きな誓いを立てて、生死の中にいる全ての生命たちを守っているのですね。未来世でも善良な男女の生命たちが生まれ、死ぬ時におまえが断じてこの願いの力から後ろに退かないで全てを解脱させるようにして、安楽を授けるようにしなさい」

鬼王がお釈迦様に申し上げました。
「願わくは、世尊様よ、心配しないでください。私がこの身体が尽きるまで考えに考えて閻浮提の生命たちを守って、生まれる時や死ぬ時に全ての安楽を授けるようにいたします。ただ全ての生命たちが生まれ、死ぬ時に私の言葉を信じて、受け入れば皆が解脱して大きな利益を授かることを願っています。

その時お釈迦様は地蔵菩薩に話をしました。
「この寿命の管理を担当している大鬼王は先に過去百千世の間を行き来しながら、大鬼王になり、生まれて死ぬ中で人々を見守っているので、この大鬼王の慈悲で願う力がある理由は現在大鬼王の身体で現れていても実は鬼神ではないからなのだ。
 この先一百七十劫を越えて主命大鬼王は当然尊佛になるのだ。その時、仏の名前は無相如来といい、劫の名前は安楽といい、世界での名前は浄住といい、その仏様の寿命は限りなく数えることができないくらいの劫になるのだ。
 地蔵菩薩よ。この大鬼王のすることはこのように神秘的なことであり、鬼王が済度する天国の人々と人間界の人々も含めてその数はさらに限りがないのだ。

 

第9品
称佛名号品

その時に地蔵菩薩摩訶薩がお釈迦様に慎んで申し上げました。
「世尊様よ、私が今未来世の人々のために利益になることを話し、生死の境で大きな利益になるようにしようしているのですが、願わくは世尊様にお許しを願いたいのです。」
お釈迦様は地蔵菩薩に言われました。
「お前が今慈悲心をおこして、六道で罪苦を受けた一切の生命たちを救抜(救い出)しようとする神秘のことを説法しようとしているのだな。今がすぐ、その時期なので、ただ、ひたすら急いで説法をしなさい。私はすぐ涅槃になってしまうので、お前がこの誓いを早く果たせるようにすれば、私はさらに現在と未来の一切の生命たちを心配しないことになるのだ。」

地蔵菩薩がお釈迦様に申し上げました。
「世尊様よ、過去の数え切れない阿僧祗劫の時に仏陀がいらっしゃり、人間の世界に出現されたのですが、名前は無変身如来と言いました。もしある男か女がこの仏陀の名前を聞いて、しばらくでも敬う気持ちを出す事ができれば、40劫の間にすぐ生死界の重い罪を超越することができ、まして仏陀の仏像を作って、仏画も授かって、供養して、讃嘆すれば、その人が授かる福は限りなく、変わらずにあるのです。

  そして過去の恒河ほどの劫の時に仏陀が世界に出現されたのですが、名前は宝勝如来とおっしゃました。たとえばある男か女がこの仏陀の名前を聞いて、指で1回はじくような短い間でも心をおこして帰依すれば、この人は無上道(天国のひとつの国)で生まれ、永遠に戻ることはないのです。

  さらに、過去に仏陀がいらっしゃって、人間の世界に出現されたのですが、名前を波頭摩勝如来とおっしゃいました。たとえばある男か女がこの仏陀の名前を聞いて小耳にはさんだだけでもこの人は当然に、六欲天の中で千回は生まれ変ることを授かり、ましてこの上ない心で称念(仏陀の名前を呼んで念じること)する人がいるでしょうか。

 さらにもっと昔の過去の言葉では話し尽くすことができないほどの劫の時に、仏陀が世界に出現されたのですが、名前を獅子喉如来とおっしゃいました。たとえばある男か女がこの仏様の名前を聞いて一瞬でも帰依すればこの人は限りないさまざまな仏様に会い、摩頂を受けて、授かったのです。

  また、過去に仏陀がいらっしゃって、人間界に出現されたのですが、名前を拘留孫佛とおっしゃいました。たとえばある男か女がこの仏陀の名前を聞いてこの上ない心で仏陀を仰ぎ、拝むか、さらに讃嘆すれば、この人は賢劫千佛の会の中で大梵王となる授上記(仏様が修行者に対して将来必ずとなることを予言し保証を与えることをいう)を受けました。

 さらに過去に仏陀が人間界に出現されたのですが、名前を毘婆尸佛とおっしゃいました。たとえばある男か女がこの仏陀の名前を聞いたとすると、永遠に悪道に落ちずにいつも人間界か天国に生まれ、神秘的な幸せを受けることになるのです。

 また、過去に数限りない恒河の砂のような劫の時に仏陀がいらっしゃって、人間界に出現されたのですが、名前を多宝如来とおっしゃいました。たとえば、ある男か女がこの仏陀の名前を聞いたらば、結局悪度に落ちないでいつも天国にいながら神秘の喜びを受けるのです。

  また過去に仏陀が人間界に出現されたのですが、名前を宝相如来とおっしゃいました。たとえば男でも女でもどっちでもこの仏陀の名前を聞いて、敬う心をおこせば、この人は長くかからずに阿羅漢の果報を授かる事になるのです。

  さらにまた、過去の数え切れない阿僧祗劫の時に仏陀がこの世に出現されて、名前を袈裟幢如来とおっしゃいます。たとえばある男か女がこの仏陀の名前を聞いたならば、一百千劫の生死界の罪を超越することになるのです。
また、過去に仏陀が人間界に出現されて、名前を大通山王如来とおっしゃいました。たとえばある男か女がこの仏陀の名前を聞いたら、この人は恒河の砂のような仏陀の説法に出会って必ず悟りを開くことになります。

 さらに過去においては浄月佛、山王佛、智勝佛、浄名王佛、智成就佛、無相佛、妙声佛、満月佛、月面佛などこのような言葉にならない如来様がいらっしゃったのです。

  世尊様よ、現在や未来に一切の生命が、それがたとえ天人でも人間でも、あるいは男性でも女性でも関係なく、ただ一人の仏陀の名前を心から深く考えて念じれば、その功徳が限りなくなり、ましてたくさんの如来様の名前を考えて念じたことになるのです。

 このような生命たちは生まれる時や死ぬ時に自ら大きな利益を授かって最期には悪道に落ちることがないのです。
たとえばある臨終の人がいて、一族の一人でもこの病気の人のために高い声で一人の如来様の名前を念じることができれば、この寿命が終わる人の五無間に行くような大きな罪をのぞいた残りの罪の報いなどはすべて消滅することになります。この五無間の大罪が、もしこの上なく重いものであったとしたら、億劫を過ぎても最期まで抜け出すことはできないのです。けれども、この臨終の時に他の人がこの人のために如来様の名前を無心に念じ続ければ、この罪の中で少しずつ消滅していき、ましてどれくらいの生命たちが自ら一生懸命心をおこして、自分たちで念じることになるのでしょうか。限りない福を授かり、限りない罪を失くすことができるのにです。

 

第10品
校量布施功徳縁品

その時に地蔵菩薩摩訶薩がお釈迦様の威信の力を頂いて、座席に立ち上がって、膝まずき、手を合わせてお釈迦様に申し上げました。
「世尊様よ、私から観て、カルマの道の生命たちが布施をする功徳を比べて数えようとしてみているのです。軽いのもあれば、重いのもあって、一生の間福を受けることもあるし、十生の間で福を受けることもあるし、百生でも、千生の間でも大きな福と利益を受ける者もいるのですが、このようなことはどのようになっているのでしょうか。
ひとえに願わくは世尊様よ、私のために説明してください」
その時にお釈迦様は地蔵菩薩におっしゃいました。

「私は今、トウ利天宮でみんなが集まった会で閻浮提の人々が布施する功徳の軽重を校量(はかること)し、説明するので、お前はきちんと聞くようにしなさい。私はお前のために説法するのだ」
地蔵菩薩がお釈迦様に申し上げました
「私はこのことを疑っていたので、嬉しく聞きたく願っています」

 お釈迦様は地蔵菩薩に言われました。
「南閻浮提にいるすべての国の王と宰相、大臣、大長者、大刹利、大婆羅門などがたとえば最も貧しい者と出会ったり、背中が曲がった人、声の出ない人、耳が聞こえない人、愚か者、目が見えない人のようなさまざまな体の不自由な人たちと出会ったりしたので、この大国の王たちが布施をしたいと思う時、もしとても大きな慈悲の心をもって、自分の心を低くして、微笑みながら、親しく自分の手でひとりひとり布施をするか、または人に頼んで布施をして、本当に優しい言葉で慰めることができれば、この国王たちが授かる福と利益は百恒河の砂と同じくらいたくさんあり、如来様に布施をする功徳より利益がたくさんになるのだ。なぜならば、国王たちはその最も貧しい人たちと体の不自由な人に対して、大きな慈悲の心をおこして話をしたので、福と利益がこのようなお返しとしてあり、百千生の中でいつも七宝が満たされるようになるので、服や食べ物、生活の品だけではないのです。

私たちが疲れて苦しくても、一日、24時間のあいだに指一本ではじくような短い間でもその後に続く私たちの御先祖様がいらっしゃる天国極楽の世界を思い出して幸せが永遠に続くように望みましょう。

チャンオムヨムブル(荘厳念仏)

アミタブルジェハバン
チャクドゥクシムドゥジョルマンマン
ヨムドヨムグンムニョムチョ
ユッムンサンバンジャグムゴァン
ナムアミタブル

【意味】
阿弥陀仏がどこにいらっしゃるのか
心と頭に授かっているので、切実に大切に敬って忘れないのがよい
考えに考え抜いて考えることがこれ以上できない瞬間になったら
六器官がいつも紫金色の光の中にいる

【意味の解説】
南無阿弥陀仏がお坊さんになった時に苦行して限りない誓いをたてて、天国にあがり、極楽浄土をつくりました。そこは私たちの輪廻が止まり、これ以上嬉しいことがない、最も素晴らしいところです。私たちの肉体に終わりがきて、私たちが心と頭で迷わず素直にその世界を信じていれば、魂はいつかこの極楽にあがることができます。
私たちみんながどんなに辛い事、苦しいことがあっても一日の中で天国極楽浄土のことを思い出せば、嬉しくて、明るくなるのです。阿弥陀仏はすぐにそれがわかるのです。





 さらにまた、地蔵よ、たとえ未来世で全ての国の王から婆羅門たちに至るまで如来様の塔やお寺、あるいは如来様の仏像、菩薩像、声聞、辟支佛などの像に出会って、自分自身が直接経営して、そのしたくをして、供養を催して布施するようになれば、この国の王たちは三劫の間、帝釈天の身体を授かり、優れて、神秘な喜びをもらうことができるのだ。たとえ、この布施をする福と利益を法界で回向(えこう:善の行いを他の人にふりわける)することができれば、この国王たちは十劫の中でいつも大梵天王になるのだ。
 またさらに、地蔵よ、たとえ未来世で全ての国王から婆羅門などにいたるまで、昔如来さまの塔や廟(お墓)、あるいは経典や仏像にいたるまで古くなって、ぼろぼろになり、割れてしまい、落ちていくのを観てたして、そしてとても善良な気持ちを奮い立たせて、補修すれば、この国王たちがもし自ら直接に経営して、作ったり、あるいは他の人を誘って百千の人々が布施して、因縁を結ぶようにしたとしてもこの国王は百千生の中ではいつも転輪の王の身体になるのです。

 このように布施をするほかの人たちも百千生の中でいつも小さい国の王の体になるのです。

 さらに塔とお墓の前で回向をおこすことになれば、このような国の王とさまざまな人々は全ての仏道を成就することになり、このような果報は限りなく終わりがないのです。


(つづく)


 



 

 

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