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●優しいお地蔵様の前世(15)〜霊験録2〜(2009.3.2)

 

地蔵菩薩の信仰霊験録2

(第4)道で拾った地蔵菩薩の霊験

 唐の国、簡州の金水縣に暮らしているケ侍郎(ドゥン・シラン)に関する話です。この人は本来ずっとお釈迦様を信じてきました。彼はある日道で、木でできた杖の頭のようなものを拾ったのですが、そこにはお坊さんの姿が彫ってありました。ケ侍郎はそれを拾って家に持って帰り、壁に立てかけて、2、3年が過ぎてケ侍郎は病気になってなくなりました。閻羅庁に連れて行かれた侍郎に向かって閻魔大王はとても気に食わない顔で睨んでいました。その時に忽然とひとりのお坊さんが現れ、姿はとてもむさ苦しかったのですが、大王はいきなり立ち上がり、席から降りてきて敬って手を合わせ、その人の前でひざまずいて座り「どんなことでいらっしゃったのでしょうか?」と言いました。お坊さんの答えは「この人は私の信者なので、必ず罪をなくしてあげることを願う。」と言われたのです。大王の返事は「この人は罪のカルマがもはや決まっていて、さらに寿命とやるべきことは全て尽きてしまったので罪をなくしてあげることがとても難しいのです」と言いました。
 お坊さんはまた言われました「私が昔三十三千善法堂にいた時、お釈迦様から私にお願いして任されたことで「罪のカルマの定まった全ての有情の生命たちを助けなさい」と言われたのです。私が罪のカルマの決まった生命たちを済度させようとするのは今日初めて始まったことでもないですし、この人はそんなに重要な罪を犯したこともないので、なぜ助けることができないと言うのです?」とおっしゃいました。大王がこの言葉を聞いたあと、丁寧な言葉で聞きました。「大士様、願う力が大きく、堅く、揺れる事がないので、まるで金剛山と同じ様です。大士様の心はそのようなので、この人をすぐ人間界に送り出しましょう。」と言ったのです。この言葉を聞いたお坊さんはとても喜びながら、私の手首をつかんで、来た道にまた引っ張ってくれました。村の近くに来て別れる時、お坊さんに法名を尋ねると、お坊さんは言われました「私は地蔵菩薩というのだ。お前が人間界にいる時に道で私の姿を見て、よく知らないながらも大切にしてくれた。お前の家の壁に立てかけたことがあっただろう?それは子供たちがいたずらで杖の頭に私の顔だけ彫っておき、それ以外の残ったところは彫ることができなかったのだ。それなので私の姿はこのように汚いのだ。お前が私を大切にした心がけは立派なのだ。」と、この言葉を終わらせるやいなや突然お坊さんの姿は見えなくなったのです。そして侍郎はそれからまた生き返ることになったのです。

 侍郎が目覚めた後で考えて、自分の家の壁に立てかけた杖を見たら、やはりその言われた言葉と同じようになっていました。そして杖の中が割れていたのでセンダン香木を求めてまた五寸ほどのサイズに補修して作り直しました。
 侍郎が死にそうになった場所で、生き返らせてもらった地蔵菩薩の恩を考え、誠意を込めて、作り直したのです。その後からは地蔵菩薩の姿に時々光明が出て家の中を明るく照らしました。侍郎は大きな歓喜の心がおこり、今回はとても新しい地蔵菩薩を大きく作って祀って、自分の家をお寺として建てて、お寺の名前を地蔵台と名づけ、小さい杖の像まで一緒に祀って、拝んで供養をして、お経を唱えてお祈りを休まずしました。この噂は親族や近所の周りにすぐに広がって、拝んで供養をしに来る人々が集まってくる地蔵台は最期には自然に大きなお寺になりました。

 

(第5) お地蔵様の仏像の腐った木と虎の難

 唐の国、華州彗日寺の法尚お坊さんの出家に関係する話です。
お坊さんが出家したのは37歳の時だったのですが、その時までは狩をすることを楽しみに過ごしてきた。
ある日、普段と同じく狩に出て山をあちこち進んで行って、ひとつの森の中にときどきとある光明のようなものがあるのを見て、その場所に行ってみたら、ただ腐った木の切れ端が一つしか見当たりませんでした。長さは1尺程度あまりで、なぜか不思議な考えになり、木の切れ端を持って家に帰りました。
ある日、虎と出会って意識を失くしてしまったのですが、その人の夢のような意識の中では忽然一人のお坊さんが現れ、自分を隠して虎に合わせて喧嘩するところが見えました。そして虎に大声で怒鳴りつけながら命令をしたので、虎はどこかに消えてしまいました。「あなたはどなたですか?私をこのように助けてくださって」「私は地蔵菩薩なのだが、お前が拾って家にしまっておいた森の中の腐った木がまさに私の身体だった。昔、お前の曾祖父がこの場所に寺を建て、お釈迦様を作って、祀ったのだが、年月がたくさん経った間にお寺は崩れ落ち、全てなくなり、その当時の私の姿も腐ってしまいただ木の内側だけが残っていたので、お前がその子孫として因縁があって私の光明を見る事ができたのでその因縁でお前を私が助け出すことができたのだ。」
この言葉を聞いて、法尚は目を覚ましました。そのそばには法尚が乗っていた馬が泣いて立っていて虎は逃げ出していなくなっていました。そしてまた注意して調べてみると、その場所は間違いなく自分が腐った木を拾ったまさにその場所だったのです。虎に追いかけられ、逃げ出して、あちこち行っている間に自分も知らずにその腐った木のそばに来ていたのでした。
その後どれくらいか過ぎて、法尚は大きな決断をしました。お地蔵様に助けてもらった場所に寺を建て、自分が拾った腐った木にお線香を混ぜた粘土を塗って地蔵菩薩の仏像をつくって、祀りました。
そしてお寺の名前を彗日精舎といい、曾祖父の強い精神を受け継ぎ、出家して、お釈迦様のように修行を怠る事はありませんでした。
法尚の修行は終始一貫していました。78歳になって、2月24日に入寂(高僧などが死ぬ事)されたのですが、その時、そばにいた仲間にこのような言葉を残しました。
「少し前に地蔵菩薩様が私に言われた言葉は「お前は慈氏如来(弥勒佛)の三回説法の中の第2回で悟りを開く人なのだ。これから私が死ぬような事になればすぐトウ利天に生まれ変わることになるのだ。」とおっしゃいました。そして私が言いました「天国に生まれたら五欲楽(色・声・香・味・触による欲)の喜びは人間界と比べるものがないと聞いたですが、天国でそのような快楽を受けることは菩提道(悟り)を忘れやすいと聞いたのです。そのようになれば、お釈迦様にお目にかかる日が遠くならないのでしょうか。」と言ったのですが、地蔵菩薩は言われました「そうであればお前の願いどおりしなさい。お前がたとえ極楽浄土に行って、生まれたいと思えば、当然阿弥陀仏を一日昼も夜も、全身全霊で考えなさい。そうすれば極楽世界に生まれることができるのだ」と言われました。この言葉を聞いて、すぐに南無阿弥陀仏を全身全霊で考えて極楽の世界に生まれ変ることをお願いしたので、これから願いを叶えて、浄土世界にのぼります」と言った後、手を合わせて座り、軽く微笑んだまま、静かに往生しました。

(第6)聖像を祀って母は天国に生まれた

唐の国、陳都督の娘は母をなくし、夜も昼も食べ物や飲み物も口にせず、泣いているだけでした。そのまま放っておけば、その間にかならず、死んでしまうので、その娘の父親は娘をぎゅっとつかんで、百の慰めを言い、「お前が誠の孝行娘なら、お前の母のためにお釈迦様に誠意を込めることが良いのだ。これから家に地蔵菩薩様の聖像を祀るので、お前が母のためにお祈りをしなさい」と言いました。
聖像が完成して、その娘が父親の前に出て話しました。
「お父さん、今回祀った地蔵菩薩様はお母様のいらっしゃった場所に祀って欲しいのです。そして母を思い出す度に地蔵菩薩様を仰ぎ見て、地蔵菩薩様のお経も唱えたいと思います。」
陳都督は娘の心を入れ替えたことが嬉しくて娘の言葉通りに母親の寝室に仏像を祀る様にしてあげました。そのあとから娘は地蔵菩薩様に夜も昼も拝みながら供養して、お経を休まず読んで、母の冥福を願うお祈りを休まずしました。その間娘の心も落ち着いて、周りが空っぽになって寂しい風が吹いていたのが、家の中でもだんだんと暖かい風が回り出してある日の夜、陳都督の孝行娘は夢の中で一人のお坊さんと出会いました。
「立派な孝行娘よ、お前の母は生前につくったカルマがたくさあって地獄に落ちたのだ。私も昔、お前のような娘だったときがあったのだが、その時私の父親は名前が戸羅善見と言って、母の名前は悦帝利と言った。私の母は亡くなって生まれ変った場所がわからず、心配をかけたのだが、最期には如来様の慈悲の心で導かれ、力になってもらい、母が地獄におちて限りない苦痛を受けいらっしゃったことを知ることができたので、如来様に誓いをたててお祈りをして、母を天国に生まれ変わるようにしてもらったのだ。そのときから私が菩提心をおこして、一切の生命たちの苦痛を失くしてあげようと誓いをたてた。今お前の孝行心を見たら昔を思い出したのだ。お前の孝行心が見事なので、私が地獄に行って放光説法をして、お前の母を罪苦から救い出して天国に生まれるようにしてあげよう」
この言葉を終えるとすぐにお坊さんは忽然と消えて見えなくなって、しばらくとまた現れました。明るい顔に慈悲のある笑顔を見せて陳都督の娘の近くにいらっしゃいました。陳都督の娘がちらっと見るとお坊さんの服の裾が火で燃えていました。そして理由を尋ねてみると、お坊さんがいいました。
「私が地獄に行ってきた時に炎に包まれたのだ。」と言われ、すぐにお坊さんの姿はまた消えて、夢から覚めました。
陳都督の娘は夢から覚めた後、母が天国に生まれ変ったことを喜びました。そしてせつない心、懐かしい心、気の毒な心、苦しい心、胸の裂けるような悲しい心、その全てが消えて胸の中が明るく開くような気持ちになりました。
その胸には喜びの心が徐々に咲いて上がっていきました。

 

私たちみんなは未来の仏様です。今は六道の旅をしながら修行をしています。

 

チャンオムヨムブル(荘厳念仏)

チョンチョクサリュンジカス
イルパジャドンマンパス
ヤジョンスハンオブルシク
マンソンゴンジェウォルミョングィ
ナムアミタブル

【意味】
千尺くらいになる糸でよく縒ったロープがもうすぐ降りてくる
1回大きな波が立ち、やっと動き出せば、小さい波が後ろから続いている。
夜は静寂で、水は冷たくて、魚たちは水を飲まない。
明るい月の光だけがいっぱいに積んで進むのだ
南無阿弥陀仏


解説:
私が揺れないようにお釈迦様の威信力を「ロープ」として授かって、永遠に続く道を進んでいくという意味。お釈迦様が呼べば私がついて行き、お釈迦様の導きに素直についていきます。目に見えないロープは永遠に続く幸せの悟り。 お釈迦様の正しい力が大きなひとつの波となり、それにみんながついていくということ。最初は誰でもついていくことからはじまる。なかなかその道が見えない世界なので、誰でも動かない、心をおこせない。誰も行くことがないので、月の光だけがひとりでにいっぱいになって、行ってしまう。



(第7)ちょんまげの中に祀った地蔵菩薩の光明

 唐の国に別駕の官職に就いている健渇(コンガル)についての話です。健渇は信仰心が深く、情け深く、その人のいつもの修行はとても清浄でした。いつも地蔵菩薩を敬って、奉って、身につけて離れたくないと考えてセンダン香木を求めて高さが三寸になる地蔵菩薩の尊像を造ってちょんまげの中に丁重に隠して祀りました。それなので、あちこちに行く時やちょっと立ち止まる時、横たわったり、座ったり、人々と話をする時もいつも地蔵菩薩を祀っている事を思って、忘れませんでした。当然、瞬間瞬間に地蔵菩薩をちょっとでも忘れないように努力をしていたのです。
そのような中で、長興(西暦で930年)の年に健渇は新しい官命を受け、転勤して、赴任する場所に行く途中でした。ある辺鄙な河にたどり着いて、おかしな感じがして、健渇はさらに一生懸命地蔵菩薩を思い出しながら橋を渡って山の下に到着しました。そして、ある人が急いで歩いてその人を呼び、追いかけてきたのです。その人は昔から健渇に深い恨みを持っていた人でした。健渇は「もう私の運命の中で、来るものが来たか」と考えたのですが、その男の態度は近くに来てみると変わってしまいました。決まり悪いように丁重な態度になりました。そして、その人と話をしました。「私は今回あなたがこの道を通ることを知っていて、先に橋の下に隠れていたのです。遠い場所からあなた一人で馬に乗ってきたのを見たのですが、橋の近くに来たあたりで、突然お坊さんがひとり通り過ぎるだけで、あなたも馬も見えなかったのです。不思議なことだと思って、しばらく見張っていたのですが、やはりあなたは見えず、お坊さん一人だけが橋を渡っていったので、またしばらくいて、見張っていました。しかし、あなたは相変わらず馬に乗ってくる姿では見えなかったのです。私が静かに考えると、つまらないことを持って、あなたを恨んで、仇を返そうと思っていたのですが、これは間違えだと考え直しました。」「あなたは明らかに仏様が見守っている人のようです。そして私は過去のことをすべて失くしてしまったので、あなたも安心してください。」と言いました。健渇が死んだのは清泰2年(西暦935年)で、その歳が78歳の時でしたが、臨終する時に彼は丹精に座って手を合わせてお経を唱えていました。彼のちょんまげには特別に明るい光明が広がって出て、彼の身体を包んでいったので、その間に彼は静寂の中で永遠の眠りにつきました。

(つづく)

 

 

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