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●生老病死、苦集滅道(2009.3.12)

前世のカルマをなくす方法

 お釈迦さまは人間としての前世を何度も経ながらさまざまな修行を繰り返して魂を磨いてきました。そして、兜率天へ昇り、善慧菩薩になって悟りを開きました。そのころは、天人たちの幸せが永遠につづくように悟りの真理を教えていました。天人たちとは、六道を巡りながら善行を積んで前世の罪が抜けて魂が持っている宿命のデータが綺麗に磨かれ明るくなったので、天国にあがってきた魂たちですが、まだ悟りを開いたわけではありません。そのため、福の種が尽きれば天国での寿命を迎えて死に、その後は、悟りを開いて天国に残れるか、開かずに人間界に戻るか、欲が深い場合は地獄に落ちていくこともあります。お釈迦さまの神々しい真理の説法を聞いて悟りを開けば、菩薩さま神様になり、最期は輪廻が止まって悟りを開いて仏さま(仏陀)になって涅槃の喜びを得るのです。

 天人は天国の国民のようなもので、悪敵と闘って厳しく天界を守る神さまは、天国の将軍や軍人のようなものです。菩薩さまはさまざまな神通力を持っていますが、攻撃的な力は一切使わず、慈悲の心でもって国を穏やかに治めます。六道のなかを自由に動き回ることができ、命をかけて全ての生命を守っています。

 菩薩さまと神様はみな、自分で誓いを立てれば、次の人生と寿命、役割を自分で決めて生まれ変わることができます。仏さまになって涅槃に入ればもう二度と生まれ変わることはなく、命が永遠につづくので、誓いは立てません。お釈迦さまは、前世で兜率天の善慧菩薩として天国での寿命をまっとうしたときに、自分の来世を決めました。

 お釈迦さまがそのときどんなことを決めたかをお話ししましょう。お釈迦さまが前世で修行した人間界は汚れていて、時代が濁っており、意見がはっきりせず、さまざまな煩悩が止むことなく次々と湧き出て、人びとの考えは都合によってころころ変わり、責任感がありませんでした。この先どうなるかがわからず不安で、なにごとも永遠につづくという保証がないため安定感がなく、命が短い五濁の世界です(劫濁、見濁、煩悩濁、衆生濁、命濁)。そのような悪い人間界では、人びとは将来がどうなるかわからないのでひどく苦しみ、たとえ善い考えを持って善行を積んでも、この世界のきりのない悪さに努力を諦めてしまうのです。そこでお釈迦さまは慈悲の心を起こして、人びとの苦しみを解決する誓いを立て、また人間界に生まれ変わることを決意したのです。

 そして、実際に人間の姿でこの世界に降りてきて、カルマの世界から抜け出して涅槃に入る道を私たちに教えました。菩薩の姿として降りてくることもできるのに、なぜわざわざ私たちと同じように苦しみを受ける人間の姿で生まれ変わってきたのでしょうか。私たち人間は、目の前で現実に起こったことしか信じられず、目に見えないものごとは単なるおとぎ噺としてしか受け取れず、自分とは関係ないこととして忘れ去ってしまいます。菩薩の姿で降りてきても、人びとはそれが本当に起こっていることとは信じずに、夢か幻だととらえてしまうのです。ですから、お釈迦さまは私たちと同じ人間として生まれ、人間として修行をしながら、共に老いていき、その生きかたを通じて、さまざまな味や苦しみを私たちに見せてくれたのです。そのため、お釈迦さまが涅槃に入ってからおよそ2500年経ったいまでも、お釈迦さまの説法を深く信じ、厚い信仰心を持って悟りを開いて次々涅槃になった弟子達と悟りを得るため修行している仏教信者や弟子たちが世界にはたくさん存在しています。

 そして、お釈迦さまが涅槃に入られた後、人間界の救済を任されているのは、本文でも紹介したお地蔵さまです。お地蔵さまは、5億7千万年後、弥勒菩薩が仏陀になり、この世界に現れて苦しい人々を済度するまで、私たちがいる世の中から地獄まで五萄の世界を化身して現れ苦しくて辛い生命たちを済度しています。

 

 阿弥陀仏は極楽をつくる前、法蔵比丘として苦行していた時代に、48の大きな誓いを立てました。阿弥陀仏の住まう極楽の国は、天国でもっともすばらしく荘厳で綺麗なのです。阿弥陀仏の素晴らしい光明(オーラ)は限りなく十法世界を明るく照らしています。阿弥陀仏の姿も天国で一番素敵な姿で寿命も限りなく永くて、名前は数えきれい切れないくらい多くて、阿弥陀仏の威神力は六道で苦しんでいる全ての生命たちを済度する大きな慈悲の一番の仏様です。極楽で生まれる魂たちはみな同じ姿をしていて寿命が永く、執着がなく争いもありません。苦労もなく、さまざまな喜びだけがあり、穏やかで静かな素晴らしい説法の国です。それが「極楽」と呼ばれる所以です。阿弥陀仏は阿弥陀仏になった後でも、苦しんでいる人びとに功徳を授け、阿弥陀仏を信仰してその威信力を授かれば、その人の肉体の寿命が終わったら、次は必ず極楽に生まれ変わるのだと心に決めて、「それができない限り私自身は仏にならない」と誓いました。

 このように大きな誓いを立てることにより、極楽に生まれ変わる人びとが増えました。阿弥陀仏を信仰して威信力を授かり、希望を持った人びとは、必ず阿弥陀仏と通じて、人間の寿命を終えるときには阿弥陀仏と勢至観音さまが迎えにくるのです。

 極楽は本来、苦痛も苦労もない世界です。しかし、極楽の存在を少しでも疑って生まれ変わった人は、同じ極楽のなかでも少しだけ苦しみを感じる場所(辺地)に生まれ変わります。そこでは、あと500年を経ないと如来さまにお目にかかることはできません。疑いの心が罪のカルマとなって邪魔され、会うことができないのです。如来さまに会えないからといって本格的に疑いはじめると、極楽での寿命が尽きて天国から脱落してしまいます。疑いの心をぬぐい去って500年をすぎれば、阿弥陀仏の説法によって阿羅漢になり最後は悟りを開くことになります。

 以上のように、天国では善の誓いを大きく立てて、三十三千大千世界の中、自分で望んだ世界や天国一番素晴らしい国、極楽に生まれ変ります。私たちは善良な心を起こして人間界にいた間にやり残した世界や苦しくて迷っている人々のために役に経つ事をもう一度やり直しにわざわざ苦しい世界に苦労しながら降りてくることもあります。このように来世を決めることが人間界の中でも出来る人がいます。つまり、私たちの人生、天国を除いた六道の中の全ての生命たちは、現世でしてきたさまざまな善い事、悪い事がカルマ(業)となり、そのカルマの種によって止まらずに輪廻(生まれ変り)を繰返しているのです。煩悩が止まって悟りを開くまで私たちの魂が持っている宿命のデータに記録している前世のカルマや罪の種がきれいに磨かれてれば悟りを開いて繰り返している苦しい輪廻が止まる。来世の自分の役割や寿命を決めることができます。天国を除いた五道にいるすべての生命たちは、現世で行なった悪行がカルマ(業)となり、そのカルマが因果応報の輪廻を促す動力源となって、私たちは休むことなく生まれ変わりを繰り返しているのです。

 では、いったいなにが罪をつくり、カルマとなるのかを説明しましょう。私たちの目、耳、鼻、舌、身体(皮膚)という五つの器官によって生じる感覚を「前五識」と呼びます。さらに意識(心)、未那識、阿頼耶識を「後三識」といいます。これら八識により、人間は世界を区別して知覚します。

 しかし、実際に私たちの心を動かし、支配しているのは、意識ではなく、その奥にある未那識です。八陽経でも触れられている通り、未那識では四つの煩悩(無知、執着、驕慢、愛着)がつねに生み出されています。煩悩に支配された判断のルールが仏法と合わないために、人間の行動は罪となり、カルマとなるのです。未那識よりさらに奥にある阿頼耶識が、私たちの思考や行動の情報をすべてもれなく記録しています。阿頼耶識は善悪の判断をしない素直な識なので、発生した情報が入ってくるままにすべて記録・保存します。阿頼耶識に保存されたデータと仏法が照らし合わされて、私たちの罪やカルマが決まるのです。

 肉体が死ねば、目、耳、鼻、舌、身体という肉体の感覚器官は自然界の火、土、水、風に還って消えなくなります。意識と未那識も消えてしまいますが、記録器官である阿頼耶識だけは魂にとどまりつづけます。肉体の死によって魂が抜けていくとき、この魂が前世で行なった記録はすべて阿頼耶識に保存されていて、そこにはカルマもしっかり記録されているために、記録されたカルマによって来世の生が決まります。そして、未那識は新しい生命が受精卵に宿った(受胎)後、阿頼耶識の記録から生まれます。それから肉体が形成されていき、前世のカルマの種に従って肉体的な性質や外見がつくられていきます。

お釈迦様は人間の世界に生まれ変ってカルマの邪魔が入ったために素直ではない心、汚れている心を持つ私たち人間に方便を使って済度することを考えている姿。

チャンオムヨムブル(荘厳念仏)

チャジョングムシンジブルシン
キョンジグムゲプルフェボム
ユウォンヂェブルジャクジュンミョン
ヨンサシンミョンジョンブルテ
ナムアミタブル

【意味】
この身体が今、仏様に近くなるように
固く決心して黄金の戒律を守り、罪を犯さない
どうか願わくは全ての如来様は私を証明してくださるように
むしろからだを捨てたとしても決して後ろに下がらないようにします。必ず前向きに進み、悟りを開くことにします。
南無阿弥陀仏


解説:
お釈迦様から説法を聞いて、カルマの種をこれ以上つくらないため戒律をしっかり守ることを決意したので、どんなことがあってもそれを戒律を破る事はない。欲をおこさないで生きるという意味です。


 仏教のあらゆる経典の源は般若心経にあります。般若心経はすべての真理説法のはじまりであり、宇宙の森羅万象を説明しています。私たちはなぜ苦しみの連続である輪廻に抗うことができないのか、人生が希望どおりに進まないのはなぜか、そして、どうすれば輪廻を止められるのかという、根本の真理を説いているのです。私たちはこのカルマをきれいに磨いて取り除き、魂を軽くしていくことによって天国にのぼります。もっと軽くなれば悟りを開いて苦しい輪廻を止められます。この仕組みを説いているのが四聖諦で、六波羅蜜を実践することで魂を磨いて軽くすることができます。罪をはっきりと見きわめ、懺悔して供養(六波羅蜜)して魂を磨くのです。魂の成り立ちからこの世で生を送り、やがて死んでまた生まれ変わるという輪廻の仕組みは十二因縁で説明されます。カルマの原因は三毒(身、口、意から起こる悪)で説明されます。私たちの肉体はさまざまな欲望を生じます。しかし、どんなに求めてどれだけ得ても満足できず、苦しみはいや増していきます。ですから、私たちの肉体が起こすさまざまな欲を我慢し、言葉に気をつけ、噂や作り話をせず、心から生じたさまざまな欲に囚われないようにします。身、口、意がそれぞれ罪を犯さなければ、カルマはつくられません。魂を軽くしていき、それ以上汚れないようにするために神々しい八正道が存在します。

 私たち人間は百千億万劫の時間のなかで輪廻を巡って生まれ変わっても、世界を理解し、宇宙の森羅万象、自然現象を読み解くことはできず、苦痛を止めることはできませんでした。ですから、私は本書で、私たちがなぜ生まれてきたのか、そして、これから先どこに向かって進むべきかを解説し、私たちの魂をきれいに磨いてカルマをなくしていく方法をすべて解き明かしました。この本は、現代人のための経典です。天に通じる強力な言葉を綴っています。ですから、この本を何度も繰り返し読むことにより、私たちが世間で実現しようとする努力とお経のように声に出して読み上げることで、苦しみの輪廻を止めて、悟りを開き、涅槃を得ることができます。

 

永遠の幸せが得られる天国の門には鍵がかかっています。扉を開けば、明るく元気になって生き生きできます。信仰心を強く起こして、本書を何度も声に出して読みましょう。そして、毎日の生活がどんなに忙しくても、1日24時間のうち15分から20分程度でもよいので、本書の内容を思い返しながら座禅してください。天国の門を開く鍵は、本書を繰り返し読んで座禅することです。一度読んだだけでは理解できなくても、後から気になるところを繰り返し読み、そのことについて落ち着いて考えれば、必ず理解して人生を明るく変えられます。読経と座禅が、天国へつづく道にあなたを導いてくれます。


 

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