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●<サルタパルン>菩薩の法を求める精神(2) (2009.9.18) 

第4編 般若・戒律

第6節 <サルタパルン>菩薩の法を求める精神(2)

7.この時にかつて前世の昔の因縁として、従ってきた人がいて、このひとりは悪魔の妨害から抜け出てきたある長者の娘だった。この娘さんは2階から菩薩の残酷な光景を見ていて、とてもひどい光景に衝撃を受け、自分の体も忘れて、走って降りてきた。そのひんやりした引き裂かれた菩薩を抱えて起こし、ついに何よりもはじめにその事実の顛末を尋ねた。
「私は一心に法を求めてここまできて、今師匠である<法涌>菩薩さまにさしあげる供養のためにこの体を売っている最中なのです。」
「供養のために命を捨てるなんて、その命よりもっと大事な師匠という人は一体どなたのでしょうか?」
「その人は「般若波羅蜜」の智慧を備えていて、私のために菩薩の行動することを見せてくださる人なのです。私はその人の指導に従ってこの上ない正覚を開けて、生命たちの帰依処となることができるのです。そして金色の光の体をさずかり、大慈大悲の心をもって、あるいは十力四無碍智・六神通など、すべてのあらゆる功徳を授かり、全てのものに自在になれて、考えをそのままに生命たちを救済する姿となるのです。」

 この返事は本当にこの世にまたとない神々しい教えでした。その女性はこの言葉を聞くや感謝の涙を流した。
「本当に結実の言葉だと思います。そのようにも神々しい法だというならば、仮に海辺の砂のようにこの体がなったとしても、どうしてその数を明らかにしましょうか?供養する物ならば私が願い通り持ってきます。お願いですので私が差し上げるものを快く受け取ってください。そしてできることならその<法涌>菩薩がいらっしゃる場所に私も一緒に連れて行ってください。」
と言って誠意を見せた。

 その時<帝釈天王>は「ブラフマン」の姿を隠して本来の姿で現われて話した。
「優しいなぁ、善良だな、善の男よ。お前の硬い求道心に私は感動した。私は実は<帝釈天王>だ。ただお前の決心がどれくらいのものかを試験しようとしただけで、決して本心でいじめたわけではないのだ。」
すぐにその時に菩薩の姿も全て前と同じ様になり、少しも傷が残ることはなかった。長者の娘は菩薩を門前に待たせて、両親のところへ行って、この事件のいきさつを詳しく報告し、できるかぎりの供養する道具を持ってくるようにお願いした。両親は
「本当にお前の言葉のように神々しい人に違いない。願い通り、なんでも持っていきなさい。お前は本当によいところに目を向けたなぁ。今からその人と一緒に供養の道に入ってくるのが良い。」
と激励してくれた。

8.このように準備が全てできて、七宝でつくった5百の車には珍奇な水陸の花と、高価な衣服、香料と瓔珞(ようらく:宝石など装飾品)、さらにあらゆる料理を乗せて、菩薩は真ん中にその女性とたくさんの侍女たちに取り囲まれ、東側の<衆香城>に出発した。<衆香城>に近づくと七宝の荘厳、七宝の周囲を七重で囲んだ七宝の窓、七重に並んでいる七宝の街路樹、本当に絵よりも美しい光景だった。ついに城内に入って高い楼台の上に百千万億のたくさんの人に取り囲まれた<法涌>菩薩を拝むことができた。菩薩の喜びは表現することができなかった。一行はゆっくり車から降りて<法涌>菩薩のところへ行った。ここでは七宝の楼台があって、牛頭の檀に香の木が装飾してあり、上には真珠の御簾がさがっていた。その4つの角には「摩尼(マニ)」の宝の玉が灯火のかわりに輝いていた。さらに四方の方角には香りの名香が焚かれていた。その楼台の中には七宝でできた大きな寝台があって、その上には四宝の小さな敷布団が広げられていて、ここに金色で書かれた《般若波羅蜜経》が安置されていた。その上にはさらにあらゆる荘厳具と旗が覆っていた。この荘厳な神々しい台の上にあわせた側に<帝釈天王>は親族である天子たちを連れて、天国の「曼陀羅」の花と玉のくずをまぜた名香を振りまき、天国の音楽を演奏していた。菩薩はかつて見たことのない光景に驚いて<帝釈天王>に尋ねた。
「<コーシカ>よ、どうしてこの楼台を楽しくさせているのでしょうか?」
「この楼台こそ、実に全ての仏・菩薩の母である「般若波羅蜜」を集めておいている場所なのだ。」

 菩薩は「般若波羅蜜」の集まった場所と言う言葉を聞いて、うれしげにどうやったのかを尋ねた。
「それによって私が命を捨てて、探すことになるのです。必ずやあらゆる仏陀もその間にいらっしゃるのです。願わくばお目にかからせていただきたい。」
「それはできない。ここには<法涌>菩薩が七宝の封印をやぶっておき、私たちが開けることは許されていないのです。」

 菩薩はここに長者の娘と5百の侍女と一緒に、持って来たたくさんの供養物を二つに分けて、ひとつは「般若波羅蜜」にひとつは<法涌>菩薩に供養しようとその上に向かって振りまいた。その時、花の香りと財宝の衣服は空中に漂って、粉のお香と金銀の花々は宝の幕で変化し、その場所を飾った、その上にぶらさがるものは財宝の山となり、さらにある物は宝の旗となり、宝の山の四方に差し上げられた。これはすべての<法涌>菩薩の神通力だった。侍女たちはとても嬉しく全ての「菩提」心をおこした。そしてその人たちは「私たちもこの<法涌>菩薩のように神秘の神通力をもって「般若波羅蜜」を説法する姿となってほしい」と願いをおこしたのだ。

9.この時<サルタパルン>菩薩は侍女たちを連れて<法涌>菩薩がいらっしゃる場所の近くに行ってお辞儀をして挨拶し、<法涌>菩薩に今日までの出来事を詳しく話され、また言葉を続けた。
「私のため仏様が教えてくれる十方のあらゆる仏陀はどこから来て、どこに行かれるのでしょうか?さらに私にいつもあらゆる仏陀の側から離れないでいるようにしてください。私はまだ完全に悟ってないので、ある時は仏陀が前に現れて、ある時はその姿を隠されるのです。それなので途切れなく仏陀の前にいることができないのです。これが私には何よりも悲しいことなのです。」

 <法涌>菩薩は丁寧に話された。
「善の男よ、あらゆる仏陀はどこから来て、どこに行くのかということはないのだ。あらゆる法の本当の姿は空なことで、執着して目に見えるもののように現われたりなくなったりするものではないのだ。それは執着する心によって善良だとも言え、悪とだとも言え、さらに心に従って汚く、きれいに、醜くかったり、美しかったりすることでもないのだ。すなわち執着する心に染められず、ぶらぶらと歩き回る煩悩の下でも静かに落ち着いて、少しも変化しないのだ。それで、生と滅、善と悪などの変化があることを考えることはそのように考える人の執着があるからなのだ。仏陀はその執着心をなくし、寂滅不動の空の全ての法の精神を見せようと説法しているのだ。すべての仏陀はこのあらゆる法の空の精神を悟られる大人なので、あらゆる仏陀には来たかどうか、行ったかどうかということは関係がないのだ。全ての法の真理とすべての仏陀の真理はただ一つだけであって、二つも三つもあるわけがないのだ。心のまま分別すれば、この世ではあらゆるものも分別することができるが、真理はそのような分別で細くできることではないのだ。

 春のある昼さがりに、わき上がる陽炎の後ろをついて行って、水を探している人がいたならば、それをどうして智慧が明るい人のする行動だと言えるのだろうか。その水に見える陽炎を池の中の水、小川の中の水だと言えるのだろうか。そして東・西・南・北のどの方角の海に流れていくといと言えるのだろうか?」
「大師匠よ、陽炎の中に水があるわけがありません。それなので、その水がどこから来て、どこへ流れていくのかは言うことはできません。」

10.「それもそうだ。とても熱いものと喉の渇きの逼迫をうけて陽炎を水として見えて、嬉しがる事は本当に愚かな事だ。あらゆる仏陀はどこから来て、どこへ行くのかなどと考えることもそれと同じだ。あらゆる仏陀の体というのは方便として、少しの間だけ生命たちにその姿を現すだけなので、その体によっては、真実の仏陀というのは見ることができないのだ。

 真実の仏陀は本当の道理と同じことだ。体の仏陀とはその入れる器の中に悟りを盛り込むことだけによって、その体まで仏陀だということができるのだ。それで本当の悟りには行ったり来たりすることがないので、あらゆる仏陀も行ったり来たりすることはないのだ。善の男よ、魔法使いが象と馬、男と女を見せても、それを実物と信じて、行ったり来たりすると考える人はないだろう。さらに夢にそれを見たときでも、または起きている時でもそのように考えることはないのだろう。あらゆる法は夢と同じことでいつも仏陀が説法してくださることなのだ。その夢とおなじように少しの方便で姿を人間に見せるあらゆる仏陀によって、その悟った真実の道理を知らずに名前と体に執着して仏陀を追及することもまるでこの愚か者がすることと同じ事なのだ。

 これこそ本当のあらゆる法の精神を知らず、道が長く五道に遺伝して、あらゆる仏陀の法を嫌い、「般若波羅蜜」を遠ざける罪だ、ということなのだ。善の男よ、それなので生滅・去来がない寂滅不動であるすべての法の真理を知ってどんなことでも執着を捨てなければならないのだ。利益になることができなければ、人から「布施」を受けないことだ。さらに布施を受けて、その人に福を植えてあげることができなければ、うれしくその「布施」をもらい、福田にすることがよいのだ。執着を捨てて、自分のためにせず、他の人のためにすれば「布施」と供養を受けてもよいのだ。ここに方便の道が開いていることとなる。これこそ本当の仏陀の弟子なのだ。善の男よ、大きな海にはいろいろな宝がある。けれども天国から降りてきたものではないのだ。地面から湧き上がったものでもないのだ。さらに東西南北のどこからもきたものではなく、すべての因縁によって現われたものなのだ。因縁が尽きれば、失い捨てる事になるのだ。その神秘的な音を出すコムンゴ(弦楽器のひとつ)は泥・木・皮・つる・棒などでできているわけではないのだ。さらには人の手だけで、音が鳴るようなことでもないのだ。すべてこのようなものたちの因縁が組み合わされて初めてそれと同じような神秘的な音を出す事ができるのだ。

 今あらゆる仏陀が生滅して去来することもある一つとして一つで、一つの功徳によってあるものではなく、すべての因縁が実って生命たちを済度するのに良い時期がくる、その時期に世界に現われたのだ。そして因縁が尽きれば、この世界から隠れることになるのだ。単に因縁によってだけ生滅・去来がおこるだけなのだ、その真性は寂然なので変わることがないのだ。この道理を知れば、仏陀が生滅・去来ということも少しも驚くことがなく、悲しく思うこともないのだ。この道理を知ることによってだけ本当のこの上ない正覚も開けて、「般若」の智慧、方便の行いも成就する事ができるのだ。」

11.この親切な説法が終わった後に<帝釈天王>は天国の「曼陀羅」華を菩薩に授けた。
「善の男よ、この花を<法涌>菩薩に供養するとよいだろう。私は必ずお前を守護して行く。お前は実は恨みなく長い年月、生命たちの救済のために苦労してきたのだ。お前とおなじように善良な人は簡単には授かることができない人なのだ。お前が熱心に求めてきたその因縁だけでもたぶん百千万億の生命たちの利益となるようにさせたので、どんなときも将来無上の昇格を授かることになるのだ。」
菩薩は<帝釈天王>の言葉を聞いて、嬉しく思い、その花を受け取り、<法涌>菩薩の頭の上に振りまきながら言いました。
「大師よ、私は今日から体で大師に奉仕いたします。」
これと同時に長者の娘と5百の侍女たちも菩薩に言いました。
「私たちも今日から大師に奉仕いたします。そして、この良い因縁によって、大師が授かる事と同じ法を授かり、さらに一緒に代々あらゆるお釈迦様に供養いたします。」
このように菩薩はその侍女たちが持ってきた5百の車のあらゆる種類の宝物と一緒に<法涌>菩薩にお供えし、言いました。
「大師よ、願わくばこの5百人の女性たちを側にいさせて、朝夕に面倒をみさせてあげてください。さらにこの5百の車の宝物を全て生活にお使いください。」

 この言葉を聞いて<帝釈天王>は言いました。
「本当によいことだ。全ての法の精神が空であることを知って、どんな善良なことでも、どんな功徳でも執着をもたず、その善良なことと功徳を「菩提」のために「布施」することは本当に神々しい事です。すべての「菩薩」がみなこのようになれば良いのだ。過去の全ての仏陀もみんなこのような修行をして、「般若波羅蜜」を授かり、方便力を備えられることになった。この菩薩も必ずそのようになるのだ。

 <法涌>菩薩は善根を植えてあげるために、嬉しくその供養を授かってくださり、本来の磨いている善根はたとえ「菩提」に回向するとしても、やはりその人の善根として、ただ「菩提」に回向する事だけなのだ。その善根に執着しない真実の行いとなることで善根を磨く菩薩にもう一度その供養を授けた。そして日が暮れてから宮中に帰って行った。その時菩薩はこのように考えた。「私は法を求めようとして来たのだ。決してこの世界に夢のような楽しみを貪ってきたのではない。それなので、横たわったり座ったりすることはできない。法師がまた出てきて説法をしてくれるまで、ここで散歩しながら待っていよう。」

12.<法涌>菩薩は宮中に禅定に入ってから7年の間「般若波羅蜜」の修行を始めた。けれども<サルタパルン>菩薩は少しも怠けたり、疲れたりするようなことがなく、欲望と怒りと愚かなことをおこさずに、そのようにして、「菩提」の底にも落ちることなく、まことをつくして努めあげ、修行を積み重ね、ひとりの師匠の説法を守ることだけを考えて、待っていた。いつの間にか7年が過ぎようとしていた時に師匠の説法を聞こうと長者の娘と5百の侍女たちとともに、七宝の法座を作って、その上にそれぞれオッチョゴリを敷いて、その上に説法されることを願っていた。そして周囲をきれいにしようと水を探したのだが、その時悪魔が全ての水を消し去ってしまったので、菩薩はとても悲しく思った。それでとうとう自分の体の血を絞って点々とほこりを失くして行った。菩薩のその心は遠い過去から考えて欲望のために体を犠牲にしたことは今回が初めてだった。それでもそれはむしろ嬉しさにあふれていた。5百の侍女たちの中で心を裏切る人はひとりもなかった。悪魔はついに妨害する方法をなくしてしまった。<帝釈天王>はここに感動して
「本当に尊厳のあることだ。このようにまで精進して「菩提」を求めれば、悪魔のする行いにも心が動かされず、それで無上の正覚を授かる事になるのだ。実に過去のあらゆる仏陀もすべてこのようだった。」
と褒め称え、菩薩が供養のための華を求めていることを知って、三千束の天国の「曼陀羅」華を授けた。

  <サルタパルン>菩薩はそれを受け取って持ち、半分は地面に振りまき、半分は<法涌>菩薩が現われるときに使おうと残しておいた。その間に7年の年月が経ち、<法涌>菩薩は無量百千万の人に囲まれ、敷いてある法座に出て行った。待ちに待っていた日がきて、師匠の姿にお辞儀して挨拶するときに「菩薩」の胸は嬉しくなっていった。その後で、長者の娘さんと5百の侍女と一緒に<法涌>菩薩の側に出て行って、天国の「曼陀羅」華を振りまき、丁寧に敬ってお辞儀と挨拶をした後、片隅の場所に座った。<法涌菩薩>はその人たちの座るのを待って<サルタパルン>菩薩のために説法をされた。

 

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