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天地八陽神呪経(八陽経) 〜1〜

 

 八陽経の経典の内容は、お釈迦様が優しく天地万物と神秘的にできている私たちの体と不思議な心の意味を説明しているのです。

 ある説法を聞きました。ある時、お釈迦様が毘耶(ビヤ)達磨城の静かなところに行かれ、その後ろには様々な場所から来た四部大衆 がついていました。彼らはお釈迦様を囲んで円形に座りました。その中で無碍(ムエ)菩薩が一人、席を立ち、お釈迦様に手を合わせて質問しました。

「この世は、貧富の差が激しいため、多くの国民は生活に苦しんでいます。様々なことが希望どおりに進まないのは、真実を見抜けずに、中身のないからっぽなものを信じ、真実を歪めてしまう心を持っているからだと思います。間違ったものを本物と信じてしまうのです。そのほうが簡単だからです。真実ではなく、間違っていて、しかも手軽なものを選んでいます。願わくば、お釈迦様よ、間違った考え方をしている人々のために正しい説法をしてください。自分達の間違いに気づいて、考え方を正しい方向へ直せば、皆が幸せになると思います」

 それを受けてお釈迦様は言われました。「よしよし、無碍菩薩よ。考え方を間違えている人々のためにお前が大きく優しい心を起こして、神通力のある私の正しい説法を求めている。これからすべての人々が明るく元気になって幸せになる話をするので、よく聞きなさい。

 お前のために、天地八陽神呪経を話そう。過去の仏様達もすべてこの経典の話をしたし、未来の仏様達も今から私が話すとおりに繰り返し話すだろう。現在、六道にいらっしゃる仏様達も、同じように八陽経の話をしていることだろう。
天国と世の中の間では人間が最も位が高く神々しく、森羅万象の中で重要な存在だ。それゆえに人間は、つねに真実に従って正しく行動しなければいけない。
心には欲の妄想があってはいけない。肉体は、間違いなく正しい行動だけをしなければいけない。左半身は正しい方向へ常に軌道を修正しつづけ、右半身は真実だけを行動し続ければよい。人間の才能とは、悟りを開くことである。悟りを開いた魂の力は、肉体を照らして輝かせる。八正道を信じて実践し悟りを開いた人を頼れば、必ず悟りに導かれる。

  もしも、心優しい誰かが、世の中が平和で幸せになるようにと願い、たくさんの人々を集めて八陽経を説法し、その内容を理解して、世の苦しみから解放される方法を知ったら、自分の身体がどんなに大切か気づくだろう。そして、自分には仏様と同じように正しいことを理解できる力があると気づくだろう。自分の身体や心そのものが仏様であり、同時に仏様の説法される真理なのだと、八陽経を説法している間に自ら悟る。この経典を書き写しながら、読みながら、話しながら理解してしまう。その理解が鍵となって、八陽経の智慧の扉を開く。八陽経の正しい意味がわかったのだから、その明るい智慧が神通力の光となってあらゆるものを透視できるようになる。そして、これからはどんな問題が起こっても、ほんの少し考えればすぐ解決できるようになる。

 私たちの肉体は大地、水、火、風という四つの素材を自然から借りてつくられているので、寿命がくれば肉体そのものはまたもとの自然に戻っていく。目に見えるものは常にこの四要素からできており、四つの自然の力によって目に見えるようにつくられている。視覚を含む人間の六つの感覚も、六つの器官によって起こされる感覚であり、その六つの器官自体もやはり自然の四つの力からできている。

 六器官の一つである人間の目は、いつも様々な限りない色を見ているが、その色は見ている目が勝手につくり出しているものであり、実はそのすべてが空である。肉体の目は確かにものを見ているが、疲れて見えなくなることもあるし、錯覚して見間違うこともある。見ているけれども、100パーセント完全に正しく見ることはできない。だから、目で見たものを信じてはいけない。すべての色は私たちの心の執着がつくり出したものなのだ。もともとは何もない空の状態なのに、何もないところに心が一瞬で色をつくり出し、受、想、行、識(五蘊(ごおん))を起こしているだけだ。感覚を起こすものの実体はないと知り、受、想、行、識の意味などどこにもないことがわかれば、妙色身如来 になる。

 肉体の耳は、いつも様々な限りない音を聞いているが、その音はすべて空であり、どこにも何もないのだ。耳は確かに音を聞くが、時には聞き間違いをしたり、聞こえなくなることがある。100パーセント完全に正しく聞くことはできない。だから、耳で聞いたものを信じてはいけない。すべての音は、私たちの心が執着からつくり出したものなのだ。それを悟れば、妙音声(みょうおんじょう)如来になる。

 私たちはいつも、鼻で様々な限りない香をかいでいるが、その香はすべて空であり、どこにも何もない。鼻は確かに香を嗅ぐが、時に鼻が利かなくなったり、匂いの感じかたが狂うことがある。100パーセント完全に正しく匂いを嗅ぎ取ることはできない。だから、鼻で嗅いだ匂いを信じてはいけない。すべての香は、私たちの心が執着からつくり出したものなのだ。空の状態において、心が一瞬にして香をつくり上げる。それを悟れば、直ちに香積如来 になる。

 舌はいつも様々な限りない味をみる。その味も一瞬にして空になる。舌は確かに味をみるが、時に味覚が全く働かなくなることがあるから、100パーセント完全に正しく味をみることはできない。だから、舌で感じた味を信じてはいけない。空の状態から心が一瞬にして執着によって味をつくり出すのだ。それを悟れば、法喜如来になる。

 私たちの肉体はいつも様々な限りない感覚を起こしている。その感覚はすべて、もともと空なのだ。肉体は確かに様々な感覚を知覚するが、時には皮膚感覚がおかしくなったり、いつもと違った感じ方になることがある。100パーセント完全に正しく感覚を知覚することはできない。だから、皮膚や肉体で感じたことを信じてはいけない。空の中で心が一瞬にして執着から感覚をつくり出すのだ。それがわかれば、智勝如来 になる。

 これまで説明した五識は、身体に備わった感覚器官として、私たちが生きている間にだけ働く。たまに機能が壊れて働きが止まることもあるし、死んで肉体が滅んだら、これら五つの識も消えてなくなってしまう。永遠には続かないものなので、信じてはいけない。

 そして、私たちの心(意識)はいつも、肉体に備わった五つの感覚器官から外部の情報を取り込んで、様々な判断をしている。確かに心は感覚をもとに思考したり判断したりするが、心は常に一つとは限らず、様々に移り変わるし、時に体調を崩したりして機能停止することもある。100パーセント完全に正しく判断することはできないので、心による判断を信じてはいけない。心が行なった判断は一瞬で空になる。空から一瞬で心が執着によって、その場その場の判断をつくりあげる。それがわかれば、法明如来 になる。


煩悩や悪をとり祓い、災厄をなくし、罪業を滅する如来。

言葉ではなく、衆香によって人々を悟りに導く如来。この如来の治める香積国は、いたるところ馥郁とした香りに満ちており、それはどの国よりも優れた香気であるという。なお、この国の建物はすべて香りで建てられている。

大相の時代、好成国にいた仏。当初太子だった智勝が出家した後、それにつづいて十六人の王子たちも出家して沙弥(未成年の僧侶)となった。そのうちの一人が釈迦であり、釈迦の師にあたる如来。

この如来の治める国の人々は皆、高い智慧を具え、男女の別なく肉欲を持たず、自由な心を持ちながらも仏の教えをたゆまず実践しようとする意志が強い。この国の人々が食べるのは法喜食(仏の正しい説法を聞く喜び)と善喜食(その説法を深く味わって実行することで感じる奥深い悦び)の二つである。

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