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天地八陽神呪経(八陽経) 〜3〜

 

 阿頼耶識は生命の根源である輪廻の種(心種子)を保存しながらも、人間の五(ごおん)(色、受、想、行、識)に染まることなく、善悪の判断もせず、三毒(貪(とん)、瞋(しん)、癡(ち))もありません。これはお釈迦様の全説法の根源を表していますが、その説法に干渉することなく、阿頼耶識は生命の輪廻を繰り返しています。輪廻の中にありながらも、煩悩に染まらず常に素直なので、阿頼耶識は天使と同じです。いつまでも消えないこの特性を「仏種子(ぶつしゅじ)」と呼びます。仏様の真理の説法と出会えばいつでもすぐさま悟りを開き、成仏できるのは、阿頼耶識が持つこの根本的な特性のおかげです。一度大きな息を吸うあいだにすべての苦しみが止み、一瞬で悟りを開きます。

 私たちがものごとに対して感じる心を五受(苦、楽、憂、喜、捨)といいます。このうち、苦と楽は肉体的な反応と不可分なため、必然的に欲望を引き起こす感覚です。憂(懸念)と喜は精神的な面で受け取る感覚です。しかし、捨は、苦でも楽でもないので欲望が生まれないため、苦・楽よりも上位の感受作用とされます。そして、この感覚は肉体でも精神でもない阿頼耶識によって感受されます。

では、八陽経についてのお釈迦様の説法に戻りましょう。お釈迦様は、「天(宇宙)は陽、地は陰。八は分別、陽は『はっきりわかる』という意味だ」と切り出した後、つづいてこう言いました。
「天はプラス、強い力があるということ。地(地球)はマイナスで、天(宇宙)よりは弱いということ。大乗(神様)の限りない道理を明らかに知り、八識因縁は空で、物質的に受けとれるものは何も無いことをよくわけて理解すること。そして、八識は日にちと時間になり、陽明(宇宙の心)は種となり、日にちと時間に種が組み合わされてこの経典がつくられたので、これを八陽経という。
八とは八識をあらわす。六根(眼、耳、鼻、舌、肌、意識)である六識と末那識、阿頼耶識を合わせて八識と呼ぶ。八識の根源をはっきり分別して理解すれば、後に残るものはなにもない「空」である。

 私たちの二つの眼は、天国の明るい光で、光明天である。明るい太陽のような光明天は日月光明世尊といい、六道をはっきり透視できるお釈迦様の明るい天眼という意味だ。二つの耳は声聞天である。声聞天は無量声如来といい、六道のすべての音をはっきりともれなく聞こえるお釈迦様の耳という意味だ。

二つの鼻の穴は仏香天である。仏香天は、魂の世界、天国と自然の四つの要素からできている肉体に空気を循環させながら、人間界と天国がつながるようにし、そして、六道のすべての香りをかぐお釈迦様の鼻という意味なのだ。舌は法味天である。法味天には法喜如来がいて、素晴らしく優しい声の説法でこの上ない味を出すことができる(例えば、お釈迦様の味のある説法を聞くと、私たちの悩みはすべてすっきりと解決して苦労がなくなり、最高の般若波羅の智慧が開き、心が穏やかになり、明るい希望が持てます。そのような説法のこと)。

 身体は盧舎那天である。盧舎那天の中には、穏やかな成就盧舎那仏と美しい盧舎那鏡像と素晴らしく明るいオーラを持った盧舎那光明仏がいる。この仏様達は天国の説法天にいらっしゃって、六道のすべてに化身し、苦しい人々を支え、導いてくれる。

心は穏やかな法界天である。心は色々な説法をつくり出し、ありとあらゆる智慧が集まった場であり、まるで清らかな製造工場のように何でも自由につくり出す。その中には、空王如来という空の仏様がいる。心の中の気持ちは無分別天である。無分別天の中には不動如来大光明仏様がいる。無分別天は、神秘的に終わりがない不思議な神通力で限りない力が授かっている。

 

 末那識天は四つの煩悩(無知、執着、驕慢、愛着)をつくり出し、阿頼耶識天は素直で善悪を判断せずに私たち人間の行い(行動、業、情報)すべてを記録する。そして、次の世に生まれ変わる時に何度もその記録を参照する役目を担っている。阿頼耶識は私の説法を聞けばすぐに悟りを開いてしまうほど素直である。阿頼耶識に書き込まれたデータを基に新しい生命と心がつくられ、末那識がその新しい心にまた入り込んでいく。こうして輪廻が繰り返される。
末那識天で宿命が決まることは、出生について記された阿那含(あなごん)経と死について記された大般涅槃(だいはつねはん)経に書かれている。阿頼耶識天ですべての行動を記録していることは大智度論(だいちどろん)経に記されており、新しい生命に生まれ変わった魂が肉体を持って再び生きていくことは、瑜伽論(ゆがろん)経に書かれている。

 善なる男よ、仏と説法は同じであり、心と身体は同じであり、合わせると一つになる。大通智勝如来なのだ。大通智勝如来とは、宇宙、天国、森羅万象、地球、太陽、すべての生命、自然、植物、月、風、雨、土、水、これらがみな合わさって一つになったという意味だ。イルラプサ(丸く一つになること)であり、欠けたものが全くない完璧なものであり、あらゆる神通力を兼ね備えている」。

 そして、お釈迦様がこの経典について話し終わるその時に、空と大地にあるすべてのものが六つに分かれて大震動を起こし、果てしなく広いところまで明るい光がくまなく照らし出し、誰も一言も言葉を発することができませんでした。そして、これまで暗かったところがすべて眩いばかりに明るくなり、様々な地獄の世界が一瞬にしてなくなり、あらゆる罪人達のほとんどの苦痛が止みました。

その時に、大衆のなかから八万八〇〇〇もの菩薩様が一斉に悟りを開きました。その名は空王如来応正等覚といい、劫名は離垢(りこう)といいます。国の名は無辺世界といい、その国民はすべて菩薩の六波羅蜜を行い、私もあなたも関係なく、みなすべての煩悩がなくなり、これ以上良くも悪くもならず、生まれ変わりのない最も穏やかな世界にとどまる資格を得ました。これ以上はもうなにもない、最高の等正覚を得たのです。
さらに、六万六〇〇〇の比丘と比丘尼、優婆塞(うばそく)、 優婆夷(うばい)たちは、魂が磨かれてこれ以上ない般若波羅蜜の智慧を授かり、悟りを開いて、仏様の中に入りました。天、龍、夜叉乾達婆(けんたつば)(ガンダルヴァ)阿修羅迦楼羅(かるら)緊那羅(きんなら) 摩コ羅伽(まこらが)などの愚かな神様達は、心眼が明るく開き、弱って苦しんでいる人々を助ける優しい神様になりました。これが「菩薩」の意味です。

 

蘊とは、塊、集まりの意。色は肉体をはじめとする物質的存在、受は六根によって外界の事物を感受するはたらき、想はものごとをイメージし表現する心のはたらき、行は能動的な意志のはたらき、識はものごとを認識・分別・判断する心のはたらき。

遥か昔、この如来の声を聞いた四人の比丘たちが悟りを開いて、東方の阿閃(あしゅく)如来、南方の宝相如来、西方の無量寿如来、北方の微妙声如来となった。

釈迦の入滅、荼毘、起塔について記された経典。

『摩訶般若波羅蜜経』の注釈書。仏教の百科事典として扱われることが多い。

仏教信者脚注9参照。

在家の信者。優婆塞が男性信者で、優婆夷は女性信者。

鬼神の一種。

帝釈天の眷属の音楽神。香を食べ、ソーマ(神酒)の守り神でもある。

阿修羅道にいる戦闘神。

別名、金翅鳥(こんじちょう)。龍を好んで食べる鳥。猛禽類を神格化したもの。

半身半獣の音楽神。人間でも動物でも鳥でもない。帝釈天の眷属で、美声の持ち主。

乾達婆、緊那羅と同じく音楽神で、帝釈天の眷属。身体が人間で首は蛇の姿。大蛇(ニシキヘビ)が神格化したもの。

これら八つの部族は天界の主要な守護神として八部衆(または天龍八部)と呼ばれる。

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